雑記などのコラムです。
7月雑記(情報に対する護身・・・みたいなこじつけ(大笑))
暑い。
確かに暑い。
温暖化で、気温だけ見れば三十年前より暑い。
いや、だけど・・・

私、自主練は昼間、炎天下の外で行っています。
三十年前の七月、私はラグビー部にいて、夏休みとか普通に練習が三時間(日によっては一日中)だったんですが、
しかし、体感……ですよ?
三十年前より暑いと言われている今とあの頃と、同じ炎天下で練習をしていて、それほど変わるかな、と思いますね正直。

子供の熱中症がものすっげー増えてるって言ってますが、
そりゃ、小さい頃から冷房ガンガンの部屋にいさせるから、暑さに対する耐性なんて身につかない。
ウチは冷房をかけたことありませんが、ウチの娘たちなんてずっとピンピンしてます。
まぁ、そんなの現代のスタンダードではないとは思いますが、何か困難があった時に
「自分の方を変えていかなきゃ」って気持ちが希薄なことが、昭和の高度成長期の頃と今とで違うとこなのかも
・・・とか、昭和のじーさんは今月も呟いておきます。


さてさて、最近一般ウケしないことばかり言ってる気がするな!(笑)
最近の記事を読んで、それでも「この道場はいい!!」と思ってきてくれる人間なんておるのか!!
・・・
いや、違うんだ。思ったんだ。

『テコンドーをやりたいと体験する人たちの中に、ここのコラムを熟読してから来るようなキトクな人間はいない!!(大笑)』

そしてもう一つ。

『誰かに向けて書いてみたりしても、肝心のそのターゲットは読んでいない!!(大笑)』

・・・いやマジで、じゃあこのコラムは誰に向けてるんだってハナシなんですが、
いいんじゃない?いつか誰かの胸に刺されば。

別に、私に同調しなきゃいけないわけではないんですよ。なんなら、ここに書くことが絶対の真理、真実でなくてもいい。
読んだだれかが、何かを感じて、自分の意見を持ったりできることが大切なんじゃないか。
それこそが自分たちの支柱になっていくんじゃないかと。思うわけです。
武道の教育が心技体で構成されているのなら、何かを自分で考えて、それを自分の肥やしにしていくことも、
実は武道教育の一環なのではないかと思う。それが、心技体の『心』を鍛えていくことにもなるんじゃないか・・・。
・・・今日は、そんなオハナシです。

インターネットが普及して情報が氾濫してます。いやマジ氾濫で、それへの対処としてよく聞くのが
『多様な情報を取捨選択し、正しいこと正確なことを見極めていかなければならない』
・・・
いや、しかしですね。
『多様な情報の中で、自分に都合がよかったり耳障りのいいもの選択し、それを正しいものとして捉える』
というのが実際なんじゃないかと思ったりします。自然偏る。

しかも、ネットでなされている主張というものは多く、断言で彩られています。
そして、「そういう考え方を持てない人間は馬鹿だ」と切り捨てられていることも少なくない。
こういう論の運び方って、一見明快で痛快なんですよね。しかも追従しないと
自分のことを馬鹿のように思えてしまうから、夢中になりやすい。
・・・
気が付けば、ダレカの言葉を自分の言葉のように並べて、悦に浸ってる人もたまに見ます。

いや、だけどさ。
大切なのは、何かにおいて、何においても、自分の意見を持つことなんじゃないかと思うんです。
自分の言葉で話す。自分で考える。
自分の頭から、思想を捻り出すこと。

・・・借り物の言葉って薄っぺらいんですよ。借りた言葉をなぞってるから、
予想外のツッコミが入ると、すぐに何も言えなくなってしまう。
それよりも、いろいろな情報を仕入れる過程で「自分もそう思う、自分はそう思わない」と思い、
そう思える根幹を作っていくことが、自分の自信をつける上でも大切なんじゃないかと。
似たことを繰り返すと、その「自分もそう思う、自分はそう思わない」のところに、
「なぜそう思うのか、なぜそう思わないのか」ということを自分の言葉で言えることが、
自分の心に軸を作る……ひいては、心技体の『心』を高め、自分の自信につなげる第一歩
なのではないかと、思うわけです。

それが、完璧でなくていいと思うんですよ。色帯だからテコンドーを語っちゃいけないわけじゃないんです。
むしろ、テコンドーが完璧な奴など世界チャンプしかいなんですから、
そんなこと言ったらほとんどのテコンドー家がテコンドーを語れなくなってしまう。
だから完璧かどうかなどは大きな問題じゃない。

今の自分の考え。五年後の自分の考えが違ってもいい。大事なのはいつだって自分の考えを持つこと。
それが未熟でもいいんです。恥かきますけどね。俺なんか超恥かきまくってきましたけどね!!(大笑)
・・・それでも、突き詰めていった時、「そうだと断言してた人がいたよ」としか言えない状態よりは、
将来揺らがないものができあがっていくのではないかと。

そして大事なのは、構築された自分の考え方に追随しない人間を馬鹿だと思わないこと。
価値観なんて十人十色です。(今、間違えて住人トイレとタイプして笑いました)

百万円ここにあるとして、何に使うかを百人に聞いたとします。
楽器を買う。旅行に行く。貯金をする。ネットゲームに使う。ギャンブルで増やす。高級料亭に行く。寄付をする。
・・・なんでもいいですが、おそらくAさんにとっては百万円のギターを買うのが至高でも、
Bさんにとって、一円でもいらないものだったりしますよね。
でもBさんが行う寄付を見て、Aさんは「その金でギターを買わせてくれ」って思いますよね。

自分が価値を見出しているものなど、他人にとって無価値である可能性も大いにあります。
『ギターに百万使わない奴は馬鹿だ』と言っても、別の人に言わせれば
『ギターに百万使う奴は馬鹿だ』となるわけで、それが、価値観の差なんです。
だから、馬鹿にすることなんて意味なくない?ってこと。
自分の百万の使い方こそ唯一無二だと思うことこそ馬鹿馬鹿しい。

だから、私は思うんですよ。
『どんなことにも自分の意見を持ち、人の意見や価値観を卑下せず、
それらを聞きながら、自分の意見に重厚さを蓄えていく』
ということが、特にこの情報氾濫のネット社会で、自分を保って生きていくために
必要な要素なんじゃないかなと思います。

それを『情報に対する護身』というならば、……ホラ、武道っぽくなってきたでしょ!?(大笑)
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