さて四月です。
四月五月六月くらいはご存じの通り?人が動く時期で、趣味とかも挑戦とかも新しいことを
始めようかなと思う人も多いんじゃないでしょうか。
そんな中、格闘技をやってみたい人達も、ちったぁいるんじゃないかと思うんですけど、
格闘技ブームが去った昨今、なかなかテコンドー道場の門を叩く人も多くはないのが現状です。
いや、それって厚木だからか?ひょっと分母の多い東京横浜辺りだと違うのか?
ちょっとよくわかりませんが、気持ち、『本気で強くなりたいならキックか極真』みたいなイメージが
何となく一般化している気のする現状、零細テコンドー道場であるアツテコも、
なんかアピールしておこうと思い、今回いろいろ書いてみようと思いました。
いや、言っておくけど、テコンドーでも普通に強くなれるからな?
『キックや極真』が強く見えるのは、死ぬほど頑張ってる奴の露出が、テコンドーよりもはるかに多いだけだからな?
(まぁ、だから頑張りたい奴が集まって、レベルを押し上げてるというのも否めないけど、
”キックだから強くなれる”とか、そういうことではない)
で、そんな中、テコンドー道場を検討するという選択肢がある方。
それでも『自分にテコンドーは向いているのか』とか悩む人の参考になればと思います。が、
実際、どんな目的で来る人にテコンドーが向いているかは、一概に言えないということを、まず踏まえてください。
例えばダイエット目的といっても、ライト層とヘビー層がいます。
『気楽に楽しみたい』人も、どこまでが気楽かというのが人それぞれに違います。
これはもちろん、ガチ勢(バリバリ強くなりたい)として入っても、そのモチベーションはそれぞれだし、
たぶんどんな理由でも、合うかどうかは人次第なのだと思います。
だからまず、目的(なにを目指して格闘技を選ぶのか)で道場を選ぶべきではない。
どのような目的であっても、それが満たされるかは、個々の達成度のレベルや、モチベーションの高さによるんです。
それを踏まえて、聞いてくださいね。
ちょっと長くなるので先にサイトマップ表しておきます。三本立てです。
1,練習きつくね? 大変じゃね?
2,道場って敷居高くね?
3,少年部の習い事について。
1,練習きつくね? 大変じゃね?
これ、たぶん、としか言いようがないんですが、一般的な道場や格闘ジムに比べて、
厚木道場はちょっと練習強度が高い可能性があります。
高校、大学の、全国大会を真面目に目指している部活や、プロを作るためのカリキュラムとかに比べたら
はるかに楽だと思うんですが、一般的な方々を対象にした練習場としては田川の見聞きしたものと比べても、
ちょっと大変かなと思ったりはします。
でも、そこでさっきの話です。だからライト層には向いてないかといえば、
うちにライト層がいないわけではないんですよ。長く続いているし、辞める気配もありません。
つまりそれも含めて、何がライトで何がヘビーなのか、自分が求めるライトやヘビーがどの程度かというのが
人によって違うので、「大変だからアナタには向いてない」とは言い難いところがあります。
実際、本当に『平均に比べて大変か』を知るほど、全国の全格闘技の練習場を知っているわけではないので、
大変だよというのもおこがましいんですが、まぁ、汗もろくにかかずに終わるという内容でないことは確かです。
でも、「大変なのかー」と躊躇する人は考えてみてください。
これからアナタが何かを選び始めてみて、数年経って振り返ってみて、
「あれ? この数年、俺、なにやってたんだろう」
って思えてしまうようなことって、どうなんだろうって思いませんか。
いや、そんなのは人の価値観でしかないし、何事も無駄なことなど人生にはないとか言い出せば
その通りなんですが、振り返った時に
「自分はこれだけのことをやってきた。その技術は本物だった」
と思える方が、納得ができるんじゃないかなぁと思うんです。
結果、身についたものがあるかないかは、人によるのだと思います。
それに価値を見出すかどうかもまた、人によるでしょう。
が、少なくとも、ですよ?
それを提供する側が、「この数年、何をやらせてたんだろう」という内容を提供してはいけないでしょう。
そう思うから、できる限り価値があると信じられるものを、本気で行うってことをコンセプトとしています。
だから、そりゃ多少は大変に思えるかもしれないけど、その分本当に身になるものを提供しています。
大変かもしれないけど、内容がいい加減でないことは保証します。
2,道場って敷居高くね?
一方、テコンドーに限らず、武道ってヤツはわりと敷居が高いと思われがちです。
それって、レーギサホー(礼儀作法)やしきたり……的な意味でそう思うのでしょうか。
それとも「テコンドーって難しそう」って思いが躊躇させるのでしょうか。
ウチは違うよ!ざっくばらんだよ!!……みたいなことを言っても、これもまた程度の問題なんで、
感じる人は感じるし、逆に足りない人には足りない。ウチなんざ無宗教のスーダラ道場なので(笑)、
逆に『こんなのは武道道場ではない』とお怒りになる方もいらっしゃるかもしれません。
荘厳さとか威厳とか、そういうものを求める人は厚木道場には向かないでしょうし、
逆に武道それ自体に敷居の高さを感じる前者の人たちには、
「一度来てみて雰囲気見てもらうしかない」としか言えません。
後者、「テコンドーって難しそう」ですが、難しいです。
格闘技の中でもわりと複雑な方の格闘技だと思います。やること多いし、
たぶん初めて触れる人は、分からん理屈も飛び交っている部分があるかと。
でも、「難しいのかー」と躊躇する人は考えてみてください。
これからアナタが何かを選び、始めようと練習場に行ってみた時、
すべてがアナタに分かることで、すべてがアナタにできることだったら、その方が将来性はなくないですか?
そりゃ、日によっては簡単なことをやってることもあるでしょうけども、
年がら年中、ずぶずぶの、しろしろの素人でもすべてが理解できて、
すべてをこなせることをやっていたら、「これってお金払って学びに行くほどのものですか?」ってなりませんか?
『難しい』っていうのは、言葉を変えれば『奥が深い』ともいえると思います。
その『難しい』をすぐに手に入れる必要もない。難しいんですからすぐに手に入るはずもないし、
『難しい』が手に入らないからつまらないかといえば、個人的にはそんなことはぜんぜんないし、
ウチの道場生で難しいことは気持ちの上で排除している人もいますが、
だからつまんなそうかといえば、そんなことはない(と思う(笑))。
映画に例えれば、
『深いメッセージ性があるが、そのメッセージを読み取れなくても楽しめる映画』
みたいなものですよ!!(笑)
難しくはありますが、その『難しい』が分からなくても楽しめる。
そして、深く追求したいと思えば、いくらでも深く潜っていける……みたいな映画、どっかにありませんか。
そこに難しさがなければ、探求心が湧いてもそれ以上がないじゃないですか。
その可能性を常に感じながら、今あることを楽しめたら、ゆくゆくは一つのことが二倍三倍と楽しめるわけだし、
深く楽しみたい人は深く、そうでない人は何も考えず、という、いろんな層を抱えて練習ができるわけです。
これはまぁ、教え方や方針にもよると思うし、『こうでなくては駄目!』みたいな言い方を始めると
楽しめる層を狭めることになると思うんですが、「この映画って、解釈は人それぞれだよねー」くらいの
余裕が道場運営側にあれば、そういう個々の考え方に沿った楽しみ方ができるんじゃないかなと思います。
私はそう思ってるので、つまり厚木道場はそうだってことですね。
(まぁ、基本の基本はそれ以外のやり方をすると全然違ってきちゃうから「絶対こうして」ってのありますけど)
というわけでテコンドーは
『深いメッセージ性があるが、そのメッセージを読み取れなくても楽しめる映画』
だと思いますが、そもそもその映画を面白いと思えない場合、もはや相性が悪かったと思うしかない。
どんな名作でも100人が100人「面白い」と言うとは限らないので、そこはまた、その人次第だと思います。
3,少年部の習い事について。
あと、ついでに少年部(小学生)に何かの格闘技をさせたいお父さんお母さんに、
私なりの考え方を述べておきます。
格闘技に限らないことですが、お子さんに何かを学ばせる時、大切なのは、
『何を学ぶか、ではなく、誰に学ぶか』
私は、これに尽きると思います。
本当に天才的な活躍をする人の多くは、確かに幼いころからその技術を叩きこまれ、数奇な運命を辿っていきます。
しかしそれは本当に一握りで、例えば数千、場合によっては数万数十万人の子供が
大谷翔平選手と同じ練習をしても、大谷翔平選手になれるのは数人しかいない、
あるいは大谷翔平選手一人しかいないんですよ。
正直、ほとんどの人はそういう天才ではないし、あるところで挫折するので、
何を学ばせても、その競技自体は人生に大きく作用しないんです。
いや、例えば、それで幼少期にAという競技をやった人が大人になってもAに関わるケースはありますので、
人生に作用しているといえばしているのですが、おそらく、その人はBをやっていたらBに関わっていただろうし、
そういう意味ではどの競技に身を置いても、その競技で同じような携わり方をしたんだろうなと思います。
逆に、私自体は5歳から18歳までラグビーをやってましたが、現在全くラグビーには関わっておりません。
その辺、『こうだからこう』というものはないのだとも思います。
そんなわけで、なに学んだって一緒です。
運命はそれとは関係なくいろんな方向へと子供を引っ張っていきます。
よく「運が良い悪い」とか言いますが、それはツキがあるないではなく、
運命がそちらに引っ張っている引っ張ってないという差でしかないように思います。
てかもともと「運がいい」の運は、運命の略字なのかもしれませんしね。
でも、その上で、能力や運命とは別の重要な要素が人間にはあります。人格です。
人間の質。どんな人間か、どんな性格か、どんな信条と信念を持っているか。
どんな努力ができるか、どんな我慢ができるか。
これを形成するのが、……もちろん生まれ持ったものも大きいですが、環境なんですよね。
そして、その環境を作り出すのが、習い事でいえば、指導者なんです。
ぶっちゃけ、ですよ。こういういい方はあれだし、私も別に自分のことを上等だとは思ってませんが、
メンバーの質の悪いところは多く、トップの人格的質も悪いです。
トップの人間的質が悪いからメンバー全員ダメになるわけではない。ここは間違ってはいけない。
でも、「あぁこの選手質が低いな」と思う時、指導者を辿ってみると
「なるほどな」と納得できることも多いことは確かです。
子供であればその影響はさらにダイレクトであり、それを一生引きずっていきます。
ナントカ学(←スンマセン、無知です)では、人格をしっかり形成していくのは
中学高校くらいの年齢だそうなんですけども、個人的には小学生の頃の経験も、
その土壌づくりに大きい影響があると考えています。
幼少期、スポーツなど何をやったって変わらない。
それを一生続ける人の方が稀だし、どうせ成長して本当の意識ができてから、
人間は本当にやりたいものに飛びつきます。
それよりも大事なのは、それを教える人間の人格、姿勢。
スポーツなど何をやったって変わらないからこそ、その部分をしっかり見極めるべきです。
その上で、どういう子供にしたいっていうのが、家庭によってそれぞれ違うと思うんですよ。
例えば私の人格が東に向いているとして、『西に向いた子供になってほしい』子供を預けるべきではないのです。
だから、本当にお子さんを確かなところに預けたいと思えば、一度ちゃんと指導者と話をすべきだと思いますし、
その話の場を設けたがらないような指導者の下には預けない方がいい。
個人的には、そう思います。
(まぁ、表向きはミナサマイイヒトなので、一度や二度の対談で人格を見極めるのも、それはそれで簡単ではないのですが)
ま、そんな感じで、新年度が始まって何か新しいことをやってみたいと思う人の参考になればと思います。
こういうアピールの時に、『だから絶対厚木道場!!』って言えないところが、
田川の営業下手なところですわ!!(大笑)