雑記などのコラムです。
12月雑記(格闘Live2024、開催!)
2024年12月。


格闘ライブ

始動だぜ!!


ピンスポットの光の渦が織り成す十と八つの
狂想曲!!

交差する蹴りの階調に導かれゆく
戦士たちの
 シンフォニー!!


 もはや芸術の域にまで
  昇華した戦いの数々が
     今宵、光と音の中で
        奇跡を起こす!!

なんか・・・キャッチフレーズがプロレスみたい(大笑)。
でも一応、音楽と格闘の融合・・・というコンセプトで、今回は大会をコーディネートいたしました。

ともあれ、ポスターにあるように、厚木道場2024年を締めくくるファイナルバトルです。
アツテコには『アツテコカップ』という、厚木道場の中では最大規模の大会があるのですが、それではありません。
なにが違うかといえば、規格が違う。このアツテコカップを戦い抜いてもらうには、選手の準備も相応でなければ
ならないのですが、『その準備ができる少数の人たち』だけでイベントをやるか。はたまた『その準備ができなくても
できる限り多くの人数が参加できるイベントにするか』で迷い、後者の方針でイベントを開催することに決めたと
いうことです。

これからちょっとフクザツな話をしますね。

厚木道場は円熟期に入って久しいです。
アツテコカップの厳しい基準をクリアして試合に臨める人たちもだいぶ減ってしまいました。
※1
このまま次の若い世代が頑張れなければ、この〆稽古イベントどころか、早晩厚木道場は
存続を危ぶまれるでしょう。

でも、私はこの厚木道場がなくなること自体はあまり大きなことだと思ってないです。
なにがなんでもこの道場にしがみつかなければならないと思ったことはない。
だから、道場が危ういからといって、もう息が切れて「辞めたい」と言い出す人に
「ウチの道場のためにやめてくれるな」と引き止めるつもりはないし、そういう雰囲気は作らないのを、
私はここが始まった時から固く誓っています。
辞めてしまうのは仕方ない。いつでも覚悟はしています。

でも逆に、それでも残ってくれる人たちには、「やろうよ」と言い続けたい。
いるなら、「やろうよ」と。
理由は、それが、武道の指導者たる役目だと思ったからです。

みんな、だんだんやらなくなっていくわけじゃないですか。
「自分のことは自分が一番知ってる」とか言いますが、私
も含めて、自分一人になると、
どれだけ自分を甘やかしてしまうかなんか、死ぬほど知ってます。
私はどっちかいうとストイックな方だと思いますけど、そんな私でもやらない理由なんていくらでも探します。

するとね、
「いいよいいよ、無理するな。自分のペースで生きればいいんだよ」
って私が言い出したら、やらないんですよ。
自分で自分のペースだけを保って生きてたら、自分のハードルの限界を超えることはできないんです。

「え、そんなストイックに生きるつもりなんてないんですが・・・」
と、普通の場所ならいくらでも言えるでしょう。
ストイックに自分のハードルを設定しなければいけない理由など現代日本において存在しません。
普通の生き方。普通のコミュニティで生きてるなら、そうなのだと思います。
が、
しかし、厚木道場とはなんなのかを考えてほしい。

厚木テコンドー道場とは、武道の、道場なんです。

武道というのは肉体的修養を通じて精神の修養を目指す生涯教育です。
※2
もっと分かりやすく言えば、『強くなるため』に、武道というものは存在しています。
で、『強くなる』というのは何かというと、腕っぷしがいくら強くなったって、本当の意味では強くなれない。
そこから得られる『平常心』だったり『忍耐力』だったり、そういう部分を培うことによって、現代社会にも役に立つ
『強さ』を身につけていくこと。そういう強さを手に入れていくことこそが現代武道教育の意義だと思います。

つまり、武道道場が『強くなるため』に存在しているのなら、『武道道場は心を鍛える場所』だと、言えるわけです。
西洋格闘技とはその辺の考え方が違うんじゃないでしょうか。

でも、さっきも言ったとおり、自分だとなかなかやらなくなっていくんですよ。
つらいのは、痛いのはイヤですから、自分ひとりでは、だんだんやらなくなっていきます。
でもそこにこそ、武道の本懐がある。そこを我慢して、そこに打ち克って、
初めて武道道場が、本来の意味を提供できるわけです。

とすれば、私がやるべきは何か。

やらなくなっていく心に対して、
「いいよいいよ、無理するな。自分のペースで生きればいいんだよ」
ではなく
「やろうよ」
と言い続けることなんじゃないか。

・・・そう、思ったわけです。
でもその分、『準備ができる少数の人たちだけでイベントをやる』のではなく、
『準備ができなくてもできる限り多くの人数が参加できるイベントにする』というのを、今回の大会は目指しました。
「やろうよ」が無茶にならないステージを用意する。それを「やろうよ」と言い続ける。
普段武道というものを、道場で浸透させているわけではないけれども、それをもって、自然と武道で必要な部分を、
皆に提供できるようにする・・・というのが、今回の大会の狙いでした。


ともあれ、だから、「やろうよ」と言い続けたい。
イベントに限らず、武道のすべてを、です。
この道場にいるからには。
それが無理なら無視し続けてくれてもかまわない。
だけど、私は「やろうよ」と言い続けたい。
ウチの道場生である限り、「やろうよ」といい続けたい。
それが、武道なのだと思うから、です。

だから、来年もこの〆稽古場に、今回参加してくれたすべての人が集まってくれることを、期待します。
来年の今頃も道場生なら、また「やろうよ」と声をかけます。
そしてもし、厚木道場以外の人たちがこの文章を読んでくれたのなら、どんな方でも大会にお越しください。
私は言います。「やろうよ」。
どちら様でも、参加を歓迎いたします。



※1
これ自体は逆に言えば、とてもありがたいことなんですよ。
体力が落ちて、100%の力が発揮できなくなったとしても、厚木道場を支えてくれているということであり、
そういう人たちがたくさんいて、厚木道場はこんなにも大きな所帯として、
まだ厚木で確固たる地位を築くことができているんです。
こんなにたくさんの現役成年部を抱えてるテコンドー道場、全国的にもなかなかないですから。

※2
究極、ですよ。修養のための教育なので、『楽しいから』やるわけではない。
というかむしろ、楽しくなくなってからやることに、本当の意味があるのだとすら、私は最近考えています。
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