雑記などのコラムです。
厚木テコンドー道場20周年
僕は酔っている。
8月26日に皆が開いてくれた20周年の宴会の美酒に酔わされて、今も酔いが醒めずにいる。
その酒は決して甘くない。だけどみんなが、僕のために用意してくれた、いろんな色に輝いている美しい酒だった。

いや、二十年史は前回で終わりだったから、景気よく写真いっぱい載せて「ありがとーーーぅ!!」とやってもよかったのだが、フェイスブックでもツイッターでも、インスタバエみたいな昆虫(?)が飛び回ってるくらい写真は黙っていてもあふれてる時代だから、あえて言葉で二十周年を伝えようかと思うことにした。
繰り返すけど僕は酔っている。それだけに、なにを言い出すかわからない。

それは普通の宴会だった。おいしいご飯が並んで、みんなで卓を囲んで、座って、ケラケラ笑ってる普通の宴会。合宿の夕飯となにが違うかといえば、酒があることと米がないことくらいだ。
でも、彼らは今日、20周年会の席に来ている。そして、僕の方を見ている彼らの大部分は、なんと10周年パーティの時にも顔を連ねていた人たちだった。
いや、暦がすべてとは言わない。でも、その日に集まってくれた人たちは決して「とりあえず付き合いで出席しておくか」というメンバーではなかった。それが信じられたから、僕は感無量だった。
ウソではない仲間たちが、それぞれに笑って、騒いで、そのエネルギーが20周年を祝うことに向けられていたのだと思えば、こんなご厚意はなかなかあるものではない。
僕にとっては、どんな有名人が来てくれるよりも、偉い人が来てくれるよりも、この方がうれしい。
どっかのセージ家のように「一応顔出しておけば票につながるかもしれない」みたいな人がいくら来て豪勢にできたって、あまりうれしさを感じない。僕はそういう人間なのだ。
小さくても気持ちを伝えたいし、伝わることが大切なことなのだと思っている。

だからこの宴会は、繰り返すけど僕にとって感慨無量だった。

彼らはいろいろなものを用意してくれた。
話題に上げたいのはメッセージを寄せ書きされた色紙だ。20周年を祝い、現役・OB問わず一言を寄せてくれたもので、色紙の数え方はわからないが、その数は4冊に渡っていた。
見れば懐かしい名前もある。道場から離れても、うちを忘れない数多くのメッセージ。
・・・その一つ一つに触れるたび、いろいろな感慨が沸いてくる。
もちろん、まず芽生えた感情はひたすらの感謝だ。これは間違いない。
メッセージを集めてくれた人はたぶん、ここに実際メッセージを残してくれた人たちよりもはるかに多く、メッセージを寄せるお願いのために労力を払ってくれたのだろうと思う。
でも実際、無返答だった人も少なくなかったんじゃないだろうか。まさか連絡がつかなかった人ばかりではあるまい。
そんな中、もう会うこともないかもしれない人たちが、メッセージだけでも送ってくれたというご厚意。これは、決して当たり前のことではないのだと思う。無返答だった人もいただろうからこそ、なおさら並んだメッセージがいとおしく感じられた。

そう思えたから僕はなかなか会えないだろう人たちには全員メールで御礼をしたんだけど、いくつかは届かずじまいだ。これが遠くなった距離の象徴なのかもしれないが、メッセージを送ってくれた人で僕から何のアクションもなかった人は、そういうことだったと思ってほしい。
僕はいまだガラケーだ。フェイスブックもツイッターもラインもやっていない。
原始生活を謳歌して止まない僕は、もう時代の流れにはついていけないから、しゃべりたくなったらその新幹線から降りて、汽車に乗りに来てほしい(笑)

それはともあれ、だ。僕が抱いた感情はただの感謝だけではない。
ご厚意はわかる。感謝もしている。その上で、遠い空で応援だけしてくれる方々に物申したい。

「これからも頑張ってください。次は三十周年まで頑張ってください」
その言葉、どれほどの号泣の中で(笑)、搾り出してくれたものかはわからないが、正直「ガンバッテクダサイ」の一言で頑張れるシロモノではない。
皆さん、そんな一言を託して、託したことを忘れて、これからの十年を生きるのだろう。でも、託された僕はその言葉を、皆がくれた激励の色紙を片時も離さず握り締めて、また、道なき道を走る。
二十年の歴史を一年半に渡って書いてきたけど、この戦いは決して簡単なものではない。
皆より人生苦労しているなどとは絶対に思わない。しかし、この道を歩み続けることは、相当の痛みを覚悟しなければならないことは間違いないのだ。
もちろん、皆がそんなつもりで書いたわけではないのはわかっているし、実際、「頑張れ」以外言いようがないこともわかっている。「だから何をしてくれ」とお願いするものでもない。
ただ・・・皆のその何気ない一言を背負って、次の十年を道場で生きる僕から、メッセージがある。


その言葉、全部連れて行くよ。だから、僕が人生を賭けて護っている道場の行く末をしっかりと見届けてくれ。そして十年後まだ生き残っていたら・・・たまには顔を出せ。
お前達がそっと置き捨てていったそれらの言葉の礼を、たまには面と向かってさせろ。
俺はデンセツでもエイユウでもない、げんこつでできてるわけでもない。
・・・ただの弱い一人の人間なんだから。


言ったとおり、僕は酔っている。そんな、自分に酔った発言するなといわれても困る。
まぁ、冷めた目でしか見られない人がいるとすれば、その方はきっと人生の中で、こういう酔い方をしたことがない人なのだろう。そのような酔い方を教えてくれた二十周年宴会だった。

そういえば、その席にはカラオケがあって、僕も勧められて一曲歌った。自然とその日は、大好きなGLAYではなく、長渕剛の『人間になりてえ』を選んでいた。
なんでだか僕もよく分からなかったけど、今振り返って思えば、厚木道場二十年を総括すれば、あの歌のような魂が地脈に流れていたかもしれない。
その歌詞を最後に紹介しようかとも思ったけど、酔いすぎて二日酔いになりそうなので(笑)、もし気が向けば歌詞検索でもしてもらえたらと思う。


二十年を生きた厚木テコンドー道場。
孤立し、非難され、残るはずがないと言われながらも続けてきて、
続けたからこそあなたがたと会えて、本当に良かった。
日本中の誰もがわかってくれなくても、あなたがただけは、厚木道場を信じてくれている。
それが、厚木道場を二十周年に導いたことは揺らぎがない。

二十周年を、ありがとう。
あなたがたが作ってくれた、二十年です。
TOP
HOME
ATUGI... TAE... KEIKO COL... ACC... BBS MAIL LINK