雑記などのコラムです。
アツテコ20年史(番外:師匠)
この場を借りて、もう一ヶ月だけ二十周年に浸りたい。未練がましくて悪いけど、これで本当に最後だ。

二十年史の前半で多く登場したように、僕には師匠がいた。二十年史を語って彼に触れないのは、僕としては、"ない"。ただ、僕の名が協会の昇段者名簿から抹消されていることを加味し(2018年9月現在)、師匠に配慮して、実名は伏せようと思う。

僕が厚木でテコンドーを行っているのは、まずはじめにあの方のおかげだ。これはとにかく忘れてはならないことであり、節目があるたびに、僕は必ずそれを思い出す。
そのたびに、あの方に挨拶をしたいと思い、結局しないでタイミングを逃している。
結婚、十周年、十五周年、二十周年……。
理由は処々あるが、結局、まだその時ではないのだと自己完結し、見送ってしまう。ただ面倒だからという理由では、決してない。

彼の元にいた頃、僕は破格の待遇を受けていたと思う。
実際、さまざまな便宜を図ってくれていたし、相当かわいがってくれていた。だから、袂を分けたことが『重大な裏切り』と思われても仕方がなかったと思う。僕が"裏切った"理由は二十年史を読み返してくれれば分かると思うから改めては書かないけど、なににせよ、僕は厚木道場を続けたのだから、僕自身も『裏切り』という言葉に対して被害者ヅラはできないし、批判をするつもりもない。
素直に詫びたい部分であることは間違いなく、さっき書いた"挨拶"というのは、その大半、謝罪が占める。

今でもたまに、同郷だった人たちと話すことがある。
あの方の近くにいた人たちの多くは、「謝る必要はない」とは言ってくれる。
しかし、彼が僕に払ってくれたご厚意に対して、恩を仇で返すようなことになったことを、深く詫びたいと思う。

その気持ちが嘘でないことの証として、僕は一応今まで頑なに示していることがある。
僕は、厚木道場を続けると決めた時に一つ、自分に枷を課した。
すなわち、『僕自身はもう、試合をしない』

あてつけになってしまうようだけど、ついでに話したい。
彼と袂を分けた後、僕にはいろいろな試合の誘いがあった。最近でも「あんた自身は大会に出ないのか」と言われることがある。
そのつど、いろんな理由をあてがったり、愛想笑いをしたりしてかわしてきた。
やりたくないんじゃない。僕の組手好きは、僕の現役時代を知っている人なら皆知っている。
だからこそ、僕はこの枷に意味があると思っている。僕のテコンドーは、師匠からもらったテコンドーなのだ。いろんな理由をつけることはできる。しかし、あの人がしてきてくれた僕への誠意に対する、せめてもの痛みだと、僕は思っている。

そんなものは独りよがりだと、かっこつけてるように思われるかもしれないけど、その代償に、その後十数年練習を続けている僕から格闘技の醍醐味を奪っているのだから、その"かっこつけ"は、もし"かっこつけ"なのだとしても、決して単なるポーズではないと信じたい。
不器用な僕にはこのような形でしか謝罪の気持ちを形にすることはできないのだ。

この20年、常に僕の頭の中にはあの方の影があった。いや、過去形ではない。僕がテコンドーを続けるうちは、その影が消えることはないだろう。
しかし、謝罪の気持ちはあれど、許しを請うつもりもなければ、手を差し伸べてほしい気持ちもない。
僕はあの当時の判断が間違っていたとは思わないし、彼は僕の主張をほとんど聞いてくれもしなかったのだから、この点において、僕がおもねる理由はない。
まぁ、僕一人の意見で彼と協会の運命が変わるなんてことはなかったのだと思うけど、だから、僕が離脱せざるを得なかったのもまた、運命だったのだと思う。

そのニュアンスを伝えることが非常に困難だし、あの方も、情だけで実の伴わない(歩み寄りのない)謝罪など、何の興味もないだろう。
だから、挨拶ができないでいるし、できないからこそ逆に、僕がテコンドーを続けているうちは彼に対する義理を忘れることはない。
人によっては「何を言っちゃってんの?」っていう気持ちになるかもしれない。
でも、それが僕の性格と、微妙な立場と、揺るぎのない覚悟なのだ。
頭の悪い僕には、これが限界である。

この文章で伝わるだろうか。
間違ってほしくないのは僕がここで表現したいのは彼へのあてつけではない。感謝である。
袂を分けても、僕は今の厚木道場のご縁を、彼なしには考えていないし、それはやはり、有難いことなのだ。
とにかく、厚木道場の大本に、あの方の存在があった。そして、僕はその意義を、決してないがしろにするつもりはない。
感謝すら直接できない理由まで書き始めると、こんなふうにしかまとまらなかったけど、とにかく、あの方を無視して、僕は厚木道場の二十周年を両手離しに「オメデトー、アリガトー」と言ってはいられないと思っていることは事実だ。

そういう尊い存在があったことは、厚木道場側としてはどのような形でも残しておかなければならないと、僕はこの記事をアップするかを今も迷っているけど、思う。



師範、あなたの葬儀に参列することはないでしょうが、あなたの元から名が消えても、わたしはあなたの弟子だと思っているし、厚木道場には、確実にあなたの魂が受け継がれています。

長いこと、挨拶にも向かわずに、本当に申し訳ございません。

いただいた数々のご厚意を反故にしたことに、深く深く、謝罪を申し上げます。

今もこのような場所で、プチプチと独り言のように謝罪の意を示すしかできないことを、本当に情けなさをお許しください。
それでも気持ちは複雑です。きっとあなたも望まないだろうし、何卒ご容赦いただければと思います。
私自身、なぜまだテコンドーに関わっているのか、正直自分でも分かりません。しかし、それがご縁というものだと考えています。
そのご縁が続く限り、私はテコンドーを続けます。
厚木テコンドーの二十周年の礎となっていただけたことに、謹んで感謝を申し上げます。

本当に、ありがとうございました。

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