雑記などのコラムです。
アツテコ20年史(第16回:奇跡の道場)
『本証は上記の者が日頃の鍛錬に努めた結果テコンドーに於ける技術精神が同武道の指導に足る水準に達したことを発行者の責任に於いて認定した証也。並びに本証をもって厚木テコンドー段位習得の免状とす。
今後も一層自己の修養に努めテコンドーの発展に寄与することを期待し同証と共に黒帯を謹呈す』

・・・A3の段位認定証には、上に習得者の名前と写真と登録順、本文を経て、下段に習得日時と、昇段審査合格者のために画像ソフトと半日にらめっこして作った『厚木テコンドー道場の印』・・・そして僕の名前と僕の印鑑が貼り付けられ、中心には厚木道場のオレンジ色のエンブレムが印刷されている。
証明書の方は同じく名前と写真と登録順、名前と二つの印鑑とエンブレムを印刷してラミネート。・・・裏には『鍛錬は終わったわけではない。勝って兜の帯締めよ』といった趣旨のメッセージが込められている。

彼が昇段した日は、彼一人だった。
というか彼は『土曜昼の部』というやや特殊な練習時間に来ているため、いつも一人なのだけど。
昇級証とは一線を画す、しっかりした額縁に納められた昇段証を受け取った彼はその時、しばらくじっとそれを見つめ、静かな感慨に身をゆだねていた。
僕もまた、そんな彼を長いこと目に映して、ずっと黙っていた。
誰もいない練習場。誰もいない静かな練習場だったからこそ、その余韻は長く続いた。
テコンドー道場を二十年続けて、僕ができたことは黒帯をやっと一人世に送り出しただけだったのかもしれないけれど、それができたことは決して間違いではなかったのだということを、その静かな空気が教えてくれていた。

僕は世渡りが下手な人間だから、今日まで道場をあまり大きくすることはできなかった。
世界一を目指す道場が二十年を経てやっと黒帯を一人出しましたーでは笑っちゃうけど、たまに『なら、日本テコンドー二十年間を振り返って、僕が取れた最善手ってなんだったんだろう?』って思うことがある。
でも、今の日本ITFテコンドー界の現状を鑑みても、最善手なんてなかった気がするのだ。溺れているのは、道を決めかねているのは僕や厚木道場だけじゃない。日本ITFテコンドー界のほぼすべてがそうじゃないだろうか。
道場として最善手がなかったのなら、あるいは一つのブレもなく正しいと思える道を歩み続けられた僕にとっては、今ある状態が最善手だったのかもしれない。
道場生たちにとっては今の厚木道場・・・いや日本テコンドー界の状態は「申し訳ない」としか言いようのない惨状なんだけど、どのスタンスにいても、そうそう状況は変わらなかったのなら、せめて僕が自分自身のスジを通せたことが、僕にとっては後悔のない道となった。

後悔のない道を歩むことができた僕を支えた厚木道場は二十年間、幸運に恵まれていたと思う。
ずっと、ITFはどんどん分裂して力を弱め、普及もままならない・・・ということを僕は憮然たる思いで書き連ねてきたけど、実はその混乱と斜陽があったからこそ、厚木道場という特異な立場の独立所帯が成立しえたことも知っている。
前にも言ったとおり、厚木の地をほしがっているテコンドー指導者層がいないわけではなかった。僕らが脱退したあとのITFが躍進を続けていれば、僕らにはいまだに対外試合の機会もなかっただろうし、それどころか、目の前に"支部"が進出してきて潰されていただろう。
2ちゃんねるでもそのように囁かれた厚木道場が今もって一つの勢力を保っていられるのは、奇跡に近い幸運なのだと思う。

幸運で二十年。
「道がない」とか言いながら、奇跡の中を走り続ける厚木道場に関わってしまった道場生たちに、僕が言えることがあるとすれば、それはひたすらの感謝だ。
ありがとう。僕が今もテコンドーができるのは、ひとえに皆のおかげなのだ。
彼らは今も時間になると練習に来て、「つらいつらい」と不平をこぼしながら一生懸命テコンドーに励んでくれている。こんな奇跡が他にあるか?
二十年間ITF初段で時が止まったままの僕を「先生」と持ち上げてくれて、僕が教えるテコンドーを体現してくれている。こんな幸運が他にあるか?
感謝なのだ。この二十年間には感謝しかない。その楽しさを教え切れなかった人もいれば、最終的には僕との関係がうまくいかなくなっていなくなった人もいる。田中さんという人には今も謝りたいほどに申し訳ないことをした。
でも、このような独立所帯で、彼ら一人一人が存在してくれたという事実が道場を支え、一つの時代を築き上げてくれたことはゆるぎなく、それに対する感謝は忘れてはならない。
僕の書き方が下手なものだから、二十年史後半はほとんど道場生の名前を挙げることができなかったけど、本当は一人一人名前を挙げて「この人はこういう人で・・・」と紹介したいくらい、皆があってこそ厚木道場は支えられたし、今も支えてくれている。感謝だ。感謝しかない。

しかし、これを感謝できるのはきっと、厚木道場が決して道場経営としては恵まれていない道場だからだったからもある。
決して大きくなりすぎない道場だったからこそ、僕らは決して流れ作業にはならない信頼関係を築くことができたんじゃないか。左うちわで何もしなくてもみんな頭を下げてくれるような立場にいたら絶対に得られなかった感謝を僕は感じているし、だから皆に精一杯を尽くそうと思えるわけだから、つまり厚木道場の質がいい(断言)のは、不幸にも見えるその境遇が、実はかけがえのない幸運となって僕らを包んでいるからなのだと思っている。


さて、これからの厚木道場はどうしたらいいのか。
日本テコンドーは衰退の一途を辿っているし、僕は今、確定申告の時に唖然とするような収入しかない。現実に目を向ければ、この宝物を護りながら生きる方法を見つけるのも容易なことではない。
辞めてしまったらどうなるのだろう。思うこともある。というか正直、この二十年史はそれを迷う場所でもあった。
辞めてしまえば日本でITFテコンドーを高度に教えられる指導者が一人減る。これだけは胸を張っていえるけど、今日本で僕レベルでテコンドーが教えられる指導者は五十人はいないだろう。
思い上がりを・・・と思うかもしれないけど、そもそも"テコンドー指導者"という者の分母が少なすぎる。加えて僕は指導暦二十年。今までいろんなテコンドー家と話をし、「え、そんなにちゃんとは教わったことないです」と何度言われたことか。
人を強くする方法なら、僕が五十位に入っている自信はまるでないが、ことテコンドーの技術を教えることに関して五十位以内だとすれば、それが一つ日本から消えるのは、自分でももったいないなぁとか思ったりはする。
そして、辞めてしまえば、付き合いベタの僕だから、今の道場生のほぼ全員との付き合いはなくなるだろう。

悶々と考えて結局答えなんて出ないのだけど、一ついえるのは、これからの人生の中でもきっと、こんなに感謝をして、こんなに感謝をされる場所は、僕にとってはここをおいて他にはないことは間違いない。その意味の深さとそんな場所が成立していることへの奇跡を、簡単に考えちゃいけないとは思っている。

三十周年、四十周年、・・・僕にテコンドーのご縁は繋がっているだろうか。
道場生の一人一人とのご縁は、いつまで繋がっているだろうか。
厚木道場はあと何人、段位の免状を発行することができるだろうか。

まだまだ道は見えないけれど、その奇跡を信じられるうちは、走り続けてみたいと思う。



死ぬ日まで空を仰ぎ、一点の恥辱なきことを。
葉合いにそよぐ風にも、私の心は痛んだ。
星を謳う心で、生きとし生けるものをいとおしまねば。
そして私に与えられた道を歩みゆかねば。
・・・今宵も星が、風に吹き晒される。



ITFはいまだに迷走を繰り返している。
あいつがあっちに行った、こいつはそっちの派閥へ移った・・・今も、繰り返している。
『味方以外はみんな敵』という空気が払拭されない限り、その迷走が止まることはないだろう。
そして、実は敵すらもいないことに、気付かなければならない。
小さな虚勢が、とても小さな結果を生み出していることに、気付かなければならない。
・・・このホームページで僕がずっと訴えてきたように、数十年後には日本のテコンドーが古武術の一つになっていないことを切に願って、筆を置きたいと思う。

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