雑記などのコラムです。
アツテコ20年史(第15回:初の昇段受験者)
混迷の草むらをさまよう厚木道場に、一つのニュースがあった。
「昇段審査を受けようと思います」
松田ハキム翔太君。・・・この二十年史で唯一、フルネームを上げてしまうが、誰もが尻ごみをする厚木道場の二級審査に合格し、厚木道場赤帯を保持していた"唯一の"道場生だった。

・・・こんな時、普通の道場だとどんな反応を示すんだろう。
「おぉそうか。お前もようやくそこまできたか。今までテコンドーで学んだことをすべてぶつけて頑張るんだぞ」
とでもなるのだろうか。よくわからないが、とにかく僕の反応は違った。
「え? マジで・・・?」
だって帯制度ができてから十余年、昇段審査までたどり着くものは一人もおらず、また、そもそも目指そうという向きすら見られなかった審査だ。
当然、制度それ自体が埃(ほこり)を被っており、僕自身、「え、昇段審査ってどうやってやるの?」といった始末。
いやもちろん、審査基準は決められていたし、希望者のどういうところを見て成否を判断するかも固まっていたのでそういう意味での混乱はないのだけど、昇段をした時に、昇段者に何を用意して、それがいくらかかって・・・的な算段がまったくできていなかった。

とはいえ、冷静に考えると、これはものすごいことだった。
彼は、厚木道場の、黒帯を、求めてくれたのである。それがどれほどのことか、これを読んでいる人のどれくらいに伝わるだろうか。
初めから道のある人たちにはわからない。ブランドの中で邁進する課程に黒帯という通過点がある人たちにはきっとこの軽い帯の重さが理解できない。
僕自身がそういう黒帯を取ったから、今、彼が取ろうとしている黒帯の違いを痛いくらいに感じた。

ならばどうしなければならないか。
僕一人がどうあがいたってその帯が持つ意味に権威を加えてあげることはできない。
しかし、僕個人が最大の感謝と畏敬を込めて、それを渡すことはできる。
どうしたらその気持ちが伝わるか。たいしたことはできない。できない中で、何をしてあげればいいのか。
僕にとって彼が意思を示した瞬間から、彼の昇段が成ったその日までの約二ヶ月は特別だった。あんなに使命感というか・・・自分の気持ちを伝えるのもそうだけど・・・だけではなく、人が一人、誇りを持つためにはどうしたらいいかを考えたことはなかったと思う。
12月だったから途中アツテコカップを挟みつつ、正月を挟んで、僕は考えた。

まず道着だった。
厚木道場の道着は独立後、空手着だ。テコンドー着と何が違うのかといえば、テコンドー着というのは羽織った道着を真ん中でチャック、もしくはマジックテープで止める。空手着は着物に近く、重ね合わせて端で止める。
テコンドーを経験していない人たちには気付かない程度の違いでしかないのだが、黒帯の道着となると、その違いが大きな意味を持ってくる。
上着、帯の下の部分をなんというのか知らないが、剣道防具で言えば垂(たれ)の部分に当たるところが、空手着だと重なっている。テコンドー着は分かれている。実は黒帯はこの部分に、黒い縁取りがされるのだが、重なっているとなんというか、黒い縁取りのエプロンのようになってしまう。

うちが空手着を使っているのは、単純にテコンドー着のデザインの入手ルートがないためだが(本当にない。とある日本メーカーは作っているはずなのだが、問い合わせてもウチでは作っていないの一点張り)、色帯はともかく、黒帯はそういう理由もあり、是非とも正規のデザインで整えてあげたかった。
一役買ってくれたのが道場生の鷲森さんだ。
この方、今行っている自営業がそれに関連していることもあり、海外から流通経路を確保してくれたのである。
厚木道場が独立してから、逆立ちしても見つけることができなかった道着だ。あの頃に比べてインターネットが普及し、流通に革命が起きていることもあるのかもしれないが、それ以上に厚木道場を支えてくれようとする鷲森さんの気持ちが与えてくれた、途方もないご厚意があったことはいうまでもない。

とにかく「まず」といいながら最大の懸念事項、道着を整えることができた僕は、帯や昇段証に取り掛かった。
帯には色帯とは違い、名前の刺繍を入れた。初段となる昇段者の名前・・・は、いい。
もう一つ、本当に悩んだのは、所属協会の名前だった。
普通、黒帯の道着には、所属協会の名が刻まれている。でも、うちには所属協会がない。当然次候補として、「厚木テコンドー道場」という名が挙がる。そこで、「うーむ・・・」となったわけだ。
そのような小さな括りで、初段となる人は本当に誇りがもてるだろうか。
僕は、厚木テコンドー道場というブランドに"誇り"を照らし合わせたことは今までなかった。もちろん僕にとってはかけがえのない道場だし、僕の所属はどこかといわれれば、『厚木テコンドー道場』だと胸を張って言い切れる。
しかし、そこにある名称は日本のほんの小さな一都市に過ぎない『厚木』という文字であり、『国際』だの『日本』だのというスケールではない。これで、誰がどれだけ納得するのか。・・・それは黒帯の誇りを持つのに、実は大きな要素ではないのか。

本当に、大きな葛藤があった。でも僕は最終的に、そこに刻み付ける文字を『厚木テコンドー道場(本当はすべての文字漢字)』とした。
いろいろ考えたし、なにせ今の厚木道場は僕の個人連合(?)なのだから、にわかにかっこいい名の上部団体を作り出すこともできたけど、僕が渡せるのはやっぱり『厚木テコンドー道場』というブランドだった。
それに、彼が得たものは帯に書かれる『厚木』や『日本』などという小さな言葉の違いなんかではなく、長年精進し培ってきた肉体や精神であり、ここで小さな見栄を張ったところで何の価値もないだろう。
その帯を彼は金で買ったわけじゃない。「ブランド力がない分、どの昇級よりも厳しい基準を」として設定された難関をすべてくぐり抜けて手に入れた帯なのだ。20年間、結局誰も到達できなかった境地なのだ。
それが誇りとなればいい。大切なのは、帯の外見ではなく、それに宿る魂であって、その帯の価値を押し上げていくのは、帯を巻いた者自身なのだ。
そう思った。だから僕は『厚木テコンドー道場』を渡すことに決めた。

文字はオレンジ。僕がもらった黒帯はやまぶき色の刺繍だったからそうしようと思ったけど、思えば厚木道場はシンボルカラーはオレンジだということは辻君がホームページを作ってくれた時から決まっている。
そして完成した帯を、僕は気がつけば、長い間眺めていた。

後は昇段証。これは二種類作る。
認定証と証明書だ。認定証はA3の賞状で、証明書は名刺サイズのカードとなった。
これをどうするか。
そこでようやく、僕が長々と書いてきたテコンドー二十年史は、一年半前に書いた冒頭に戻る。

どうしたら、こんな紙っぺらに価値が与えられるだろう。
どうしたら、このたび昇段を迎える方が成し遂げたことに誇りを持ってもらえるだろう。
どうしたら、うちの道場で昇段するという無価値に、価値を与えることができるのか。

・・・"インチキ指導者"が考える昇段認定証の文言。しかし、その精神と魂はインチキではない。僕は半生続けてきたテコンドーに対して、一度も自分でツバを吐くようなことはしなかった。ただひたすら、崇高に「テコンドー道場」であり続けた。
所属道場生の質も限りなく高い。テコンドーの実力は及ばない時があるかもしれなくても、チームの質はどこにだって負けやしない。本当に、すごい人たちの集まりだ。
そんな・・・馬鹿なくらい愚直な道場からの黒帯だ。うちを知らない誰がどんなことを言おうが、僕はこの文章に本当の魂を込めて、それを渡すことがこの昇段証を渡す"意味"だと思った。

認定証の本文は150文字前後だろうか。ツイッターでの呟きレベルの短文に、僕は何日もの時間をかけた。

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