アツテコは二十六周年です。
実際に練習が始まったのは九月の第一週金曜日なんですが、場所を取った始めるつもりだったのが
八月の第四週金曜日でして、私の中ではどちらを区切りとすることなく、八月第四週に始まって、
九月の第一週に始まった・・・という認識だったりします。二倍でお得だからな!!(笑)
そんな二〇二四年の記念すべき金曜日。
八月第四週に来たのは二人。九月第一週に来たのは一人でした。
「たった一人かよ、二人かよ」と思いました?(笑)
でも、厚木道場はその"一人"、その"二人"に支えられて、二十六年をやってきました。
ずっとずっと、人が変わってもずっとずっと、一人は来てくれました。二人は来てくれています。
そういうバトンが連綿と繋がれて、二十六年があります。
厚木道場がまだ金曜日しかなかった頃。増えたり減ったりする仲間を見ながら、
「誰も来ない日が一日でもあったら道場を畳もう」
と思っていたことは、二十年史に書いてある通りです。
「ところが誰も来ない日が二十年間あったためしがない」
って話でしたが、その後コロナの流行もあり、その伝説(?)は潰えてしまいました。
水曜日も危ない。週末はともかく、平日は国から絶滅危惧種に指定されています。(たぶん)
そんなわけで誰も来ない日もあったんですけども、今は心境も違い、私がここまで人生を賭けてきた
厚木テコンドー道場というものがどのような結末を迎えるのか、見届けてやろうと思ってます。
私もいい加減歳をとってきましたが、世間巷の人が「やれ外国語だ、やれ資格だ」と言ってるさなか、
テコンドーしか取り柄がないまま、ここまで生きてきました。
たぶん私からテコンドーを取ったら何も残らない。ただひたすら、テコンドーの技術の習得に努め、
どうすれば分かりやすく皆が蹴りが蹴れるようになるか、どうすればテコンドーという枠組みで勝っていけるか
・・・それを指導者として研究し続けた半生だったわけですが。
そういう半生を過ごしてこれたのは、とりもなおさず二十六年、
厚木道場というものを繋ぎ続けてくれた一人、二人、・・・たくさんの力でした。
二十年史に詳しく載ってますが、私はテコンドーが続けられる立場にはいなかった。
・・・って言ってもピンとこないと思いますが、例えるなら何だろう・・・
映画監督をしていたら映画館がすべて消え去った。それでも映画監督を続けてきたようなものでしょうか。
「それ映画監督って言えるの?」って感じでしょ?
そんな私を、テコンドー家たらしめたのは、うちにいる期間が長くても短くても、
厚木道場生だった人たちのおかげなんです。
あなた方のおかげで、俺はこんなにもテコンドーに没頭できた。あなた方が繋いでくれたおかげで
テコンドーのことをこれほどにも深く考え、テコンドーの何が良くて何が駄目なのかを分析し、
テコンドーの技術や理解をこんなにも高めることができた。
テコンドーのことで伝えたいことも、こんなにも増えた。
・・・それは、とにもかくにも、厚木道場が存在したからであり、私がいまだに黒帯を巻いていられるのも
皆さんがいてこそ、なんですよ。道場なければ私の立場だとただのコスプレですからね。
映画館のなくなった世界で映画監督を続けてる。
その矛盾が、厚木道場が存在してることで奇跡的に存続しています。
だから、私にとっては誰もが恩人なんですよ。私をここまで押し上げた皆さん一人一人が宝であり、
それは在籍している云々に限らず、同じ感謝と仲間意識を持っています。
まぁ残念ながら、そこまでの意識は一方通行であることも多く、一度道場を離れてしまうと
私の連絡など何かのダイレクトメールくらいにしか思わない人もあり、用事がある頃はあんなに盛んに
やり取りしていた人たちが一切返信してこない様を見るだに悲しいですけど、
それでも、感謝の気持ちは変わらないし、変わらず戦友だと思い続けています。
以前一度、「この道場は久しぶりに行ってもいつも歓迎してくれる」みたいなことを呟いてた人がいましたが、
そりゃ当然なんですよ。アナタのおかげで俺はテコンドーができているわけですから。
それが、二十六年目に入りました。
私という凡人に、テコンドーという取り柄をくれた皆さんに、深く感謝しております。
そんな皆さんが退屈しないために、私はテコンドーを盛り上げたい。
私と大会行くと知ってるかもしれませんが、私は他の道場の人たちも応援しています。
敵じゃないんですよ。
日本でITFテコンドーに生きてる人なんて国から絶滅危惧種に指定されてるくらいです。(たぶん)
だから、テコンドーをやってくれてる・・・それだけですでに宝じゃないですか。
うちの道場生の組手の相手がテコンドーという競技の枠組みでできる。・・・それがどれだけ有難いことか。
だから、他のテコンドー道場も応援したいし、そういうネットワークが全国に広がればと思うんです。
きっと、「割れたのはお前らじゃないか」という人たちもいるんでしょう。
このことについて最後まで話を聞いて理解してくれるキトクな指導者も稀なので、
うちに限らずそれぞれの道場、会派が抱えている過去のわだかまりを超えていくのは容易ではないし、
結局だれも成し遂げられていません。
なので、「テコンドーを、すべての垣根を乗り越えて皆でやる」という命題の実現は非常に困難なんですが、
誰かがそう思い続けること。そう言い続けること。
それが誰かの胸にいつか届くなら、その困難をも超える動きが出てくるかもしれないし、
そういうことをいまだに言ってる馬鹿が私一人であるなら、私が言い続ければいい。
鳴かぬなら 代わりに鳴こう ほととぎす
ですよ。(なんじゃそれ(笑))
ディズニーシーの亀の某に言葉を借りれば、
『テコンドー家は友達。敵じゃない』
(魚は友達。エサじゃない)
これ、俺と一緒に片ヒレを上げて、大きな声で繰り返して。
『テコンドー家は友達。敵じゃない』
よろしく頼むぜぇ〜〜!!
なんか、今年のコラムは結局結論がいつもそれで申し訳ないです。
まぁしかし、おかげでどの月から見ても、田川の思いは伝わるからな!!
実際、アツテコだってどこまで残るか分からん道場であることには変わらないので、
私がテコンドー家としていつまでそんなことに声を張り上げていられるかも分からないわけですが、
声が続く限り、言い続けたいと。
そして、繰り返しますが、それを言い続けられるのは、そんな田川を支えてくれた一人、二人、
支えてくれている一人、二人、・・・たくさんの道場生たちのおかげです。
そんな道場生たちのためにも、私は黙らない。感謝の皆さんにテコンドーで「楽しい」と言ってほしい。
だから黙らない。そう誓って、二十七年に向かっていきたいと思います。
二十六年を、ありがとう。