前回のコラムでもあれほど申し上げたように、15周年です。
でもいいたいことは15周年記念イベントの冒頭「道場に挨拶」で言ってしまったので、特にいうこともなく・・(大笑)
白々しくあの演説文をここに書き直すのもいやなので、何を書こうかなと途方にくれとります。
たまに、道場に行くとまだ誰もおらず、がらんと静かなことがあります。
柔軟をして、壁蹴りとかして、ちょっとシャドーとかしてもなかなか人が来ない。
地団太踏んでも土下座をしても座禅を組んでも逆立ちをしても人が来ない。(笑)
そんなとき、とても懐かしい気持ちになります。
うちは始めてから長い間幽霊会員9割以上の実働2人という道場でしたから(大笑)、
いつなくなってもおかしくない状況でした。
当然さっき言った、道場に行っても誰もいない状態のほうが普通で、
まーそのたびに正直終わりは感じながら、
誰かに「厚木道場なんて、そんなもんどこにあるんだ?」って聞かれたら、
「俺が厚木道場だ!」と答えようと決めてました。
俺が厚木道場である限り、厚木道場がなくなることはない。
・・・人の夢って、そういうことなんじゃないかなと思っていました。というか、今もそう思っています。
ともあれ、そんなことを思い出すんですよ。がらーんと静まり返った道場の端っこで。
かっこよくいってるように思えるかもしれませんが、この言葉が脳裏をよぎる瞬間って、
たまらなくさびしかったりします。
これを知ってるからわたしは人にこの立場をあんまりオススメしないくらい。(笑)
そうこうしてるとぽつりぽつりと人が来ます。
驚いたことに、15年間、このぽつりがなかったことがありません。
練習時間が終わるまでに一人もいなかったことは本練習中一度もないのは
数年前にもどこかのコラムで言いましたが、まだ続いています。すごい。
そしてだいたいその一人目が
「俺だけですか!?」
と苦笑いしていたりするのが、来る人が変わっても15年来の道場の風景であり、
それを、毎度毎度すこしうれしい気持ちで迎えるのがそういう日の流れです。
(来て当然と思える日が一向に来ない(笑))
最近早い人も多いのでそういうことも減りましたが、今もたまに、それを思い出せる日があります。
それを15年間繰り返すと、15周年イベント冒頭の「道場に挨拶」みたいな言葉になります。
え?覚えてない?聞いてない?
よろしよろし。
あんな照れくさいことは2度も3度も言いません。花火はあとでビデオでみるもんじゃないです(比喩表現(笑))
「俺が厚木道場だ!」がさびしかったのは、ようするにそう叫ぶ人間が
世界で自分ひとりだったからなんだと思います。
「俺の所属は厚木道場だ!」ではなく、「俺が厚木道場だ!」と言ってくれる人が
増えてくれることを、わたしは精一杯テコンドーの魅力を伝えることで、祈るような今日この頃です。
(こればっかりはわたしの力でどうなるものでもない)
もーね、テコンドーに関しては夢とか目標とか多すぎ。
15年たっても満足できることほとんどなし。
まだまだやりたいこともいっぱいあって、自分の実力もまだまだ足りなくて、
思ったよりできるんだなと感心した自分の可能性と、
同時に自分の無能を思い知らされたこの15年の中で、
かかげている夢や目標という奴はいったいいくつが叶うんでしょうかね。
とりあえず、自分であきらめるまでは可能性はあるんだぞと15年間の軌跡が言ってますので、
信じてがんばってみようと思います。
「遇直と笑わるるとも、終局の勝利は必ず誠実な者に帰すべし」
デスネ。
(とある偉人の言葉です。あいかわらず言いたかっただけ(笑)。
私自身が言って人に説得力が持ちえるまで走り続けてやる)
今、道場で汗を流してくれている仲間たちに多大なる感謝をしています。
みなさんが常に手ごたえを感じられるよう、しかも楽しい場所であるよう、
一生懸命がんばりますー!
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