雑記などのコラムです。
「あこがれる」ということ
わたしも大概マンガに影響されて育ってきましたが、
とりわけ印象に深く忘れられない名シーンがいくつかあります。今日はそのひとつを紹介(笑)。

登場するのは「グラップラー刃牙」というマンガの空手の館長愚地独歩さん(50代〜60代)。

地下闘技場というえげつないK-1みたいな舞台があって、
そこのチャンピオンの少年に「独歩」はいろんな技を仕掛けます。
いろんな技・・・といっても、前蹴り、正拳など非常にオーソドックスな技で、
フェイントもかけずに単純に技を放つのですが、次々に繰り出される技を
チャンピオンの少年は一つも受けることができない。
まったく反応できないまま、気がつけば技は次々と的確に急所に寸止めされていきます。
あっけにとられる少年を尻目に、諭すように言った彼の言葉が

「わたしはね、今見せた基本技を50年・・・毎日千本以上続けているんだよ
あきれただろ・・・それができる馬鹿なら誰だって今のような真似ができる」

・・・・・・・・
・・・・

すげぇ・・・・・(大笑)


「ありえねー。所詮マンガだろ」
言うは簡単。実際50年打ち続けたらどうなるか、など、誰もやったことはないだろう?

・・・というわけで、そのマンガを読んだ当時、その日から挑戦してみました。


無理・・・。(大笑)

その後も思い立てば何度もその計画を立てましたが、少なくとも今続いてません。
1000本が無理なんじゃない。それを毎日続けることが非常に困難です。
雨の日もあれば、このコラムのネタ出しのために石像になってる日もあります。
冠婚葬祭もあれば、怪我や病気の日もあるわけで、
そんな「人生」の中で、50年間あのメニューをこなすことは、現実の人間には
厳しいと思います。

まぁ、マンガです。(笑)

でも、人間が成長するのに必要な要素として、「あこがれ」って絶対あるんだと思います。
「あこがれる」からこそ、それに近づこうとする気持ちが働くのであり、
その瞬間って上を向いてるんだと思うんですよ。
「あこがれ」は、自分の理想を描き、成長するモチベーションにつなげる大事な要素のひとつです。

その対象はなにも現実に存在する人に限る必要もないわけで、
わたしなんざ、「愚地独歩」のその境地にあこがれて、彼が武道家としての指針だったりします。
(誰と戦うために強くなっていってるわけじゃなくて、純粋に「一番強くなりたい」と思い続けて
毎日を鍛錬している彼の姿をわたしは追いかけていて、70で達人になることを目指してます。
1000本はできてないケドネ・・・(泣))
いいんだあこがれるものなんてなんだって。
ぶっちゃけ現実世界に尊敬に値する人なんてそうそういないでしょ?(大笑)
あこがれて近づこうとして自分が成長して、結果自分がぴかぴかになればいいんです。


わたしがあこがれたのは武道家としての生き方ですが、もっともっと簡単なとこで、
「ああいう技をできるようになりたい」・・というあこがれでもいいと思うんです。

とにかく、なにかすごいものを見たときに「アレと自分は違う。ああはなれない」と思ったら、
どうせそれ以上はないわけで、「あこがれたら、それに近づきたい!」っていう、
単純な気持ちを持つことで、きっと人はもっと貪欲に成長できるものなんだと思います。

(あ、でもオススメは、そのあこがれる人間に近づくんじゃなくて、純粋に技や生き方のみ近づかんとすること。
富士山は遠くから見るときれいです(大笑))


あこがれましょう、あこがれましょう。 (笑)
そして、あこがれたその気持ちをいつまでも忘れなければ、
なんだかいつも上見てしかも謙虚に生きられる気がします。

上見て生きるの大事。武道家ですから。


余談ですが、最近思うのが、
最近男子が女性化してるとちらほら聞きます。
それって男らしいあこがれる存在が、今のマンガとか番組に
減ってきてるからなんじゃないかと思うのは考えすぎでしょうか。
かっこいい!より、かわいい!面白い!のほうが多すぎて、あこがれられるものがないのかなと。
・・・最近のメティアをあんまり知らない私がいうことでもないとは思いますが、
どうなんでしょうね、なんとなーくそう思います。


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