雑記などのコラムです。
10月雑記(素質なき人々へ)
すべてのことはそうだと思うんですが、一つのことをなす時、一つの素養があればことが足りるということはありません。

テコンドーであれば、
脚力、柔軟性、バランス、瞬発力などから、リズム感、冷静さ、器用さ、殺気(笑)など、
即興で考えてもいくつも浮かぶこれらいくつもの要素が複雑に絡んで、
ひとつの「テコンドー」というものを形成しているわけです。

その一競技について、それらの素養をすべて(場合によってはそのほとんど)持ち合わせている人のことを、
世間では天才と呼びます。
自分の持っている素養がたまたまがっちり噛み合った状態ですね。
スポーツに限定するなら必要な素養が共通する場合も多いので、
そういう人は大体のスポーツを万能にこなしたりするわけですが…。

が、ほぼすべての人間は、なにを行うにも、何かが足りません。

先ほどの例をもってくれば、脚力バランス柔軟性を兼ね備えているのにリズム感がないとか、
器用だしリズム感もあるのに臆病であったりだとか、極端な例ではやる気以外は何もないとか。
すべて持っているのに、背が足りない…とかね。

人間というのは多分、ものすごい多岐にわたる「素質の円グラフ」を持っていて、
総合してみるとその円の大きさなんてそんなに変わらないものなのだと思っています。
ただそれが、自分の目指したい世界に突起しているかどうかが別なだけで。

しかしその素養がないからある人間に勝てないかというとそうでもないのが格闘技だと思います。
格闘技は理数学的な「形」ではない、国語的な「理屈」ではない精神的な要素が、
その素養に大きく作用してくるからです。
だって、肉体的・感覚的な素養だけで勝敗が決するならテコンドー家の多くは荒川静香に勝てません。(笑)

物議をかもしそうなトンデモ例はさておき、
ともあれ組手というものは肉体的・感覚的そして精神的要素のすべてを総合したものの衝突なわけです。
だから逆に言えば、なにが足りなくても、一つが突出していれば、それで戦えるわけです。
相手と比べて例えば瞬発力が足りなければ、自分の持つ他のもので補えばいい。
すべての素養を持つ人(天才)もほとんどいませんが、
何の素養ももたない人などもいないものです。(きっとそんな人間の確率は天才の確率と同じです)

とにかく、足りないことを嘆くのではなくて、では今の自分になにがあるかを考え、
持ち味を生かす組手をしていく。
精神的なものが足りないなら、技でカバーする。
暴れん坊には暴れん坊なりの、臆病者には臆病者なりの戦いと言うものがあります。
すべからく、〜〜だから出来ない…じゃなくて、〜〜だからこうしよう…という考え方が
人を強くすると、わたしは思っています。

そしてすべての人が持ちえる素質が、「努力する素質」「継続する素質」です。
私も含め、素質のない人間は強くなるために、この一番地味で一番大変な素質に頼らざるを得ません。
が、この素質はテコンドーを越えてすべてのことに応用できるものであり、
例えばテコンドーはそれを養える一つの場であるわけなので、
この素質、ぜひテコンドーで鍛えてもらえたらと思います。

余談ですが、私は、今回のコラムで書いたことをテコンドーを通して身に沁みているので、
テコンドーに限らずすべてのことについて、
「自分は天才じゃないんだから、慢心せず、あきらめず…」を心がけています。

ちょっと偉そうですけど・・・(笑)。

TOP
HOME
ATUGI... TAE... KEIKO COL... ACC... BBS MAIL LINK