雑記などのコラムです。
10月雑記(自分の組手スタイルに悩んだ時)
組手で自分のスタイルを見つけるのに必要なのって、まず自分を知ることだと思うんです。
自分の持つ、どの攻撃を当てたいのか(自分の理想を確認する)、
実際どの攻撃が得意なのか(自分を現実的に見つめる)。
組手で何かに迷った時、その二つを確認することがまず解決の糸口なのではないかと思います。

そしてそれはテコンドーに限らず、さまざまなシーンで言えるんじゃないでしょうか。
自分は何ができるのか。自分は本当は何がしたいのか。
・・・容易に答えなんかでないんですけど、その部分を一足飛びにしてものを考えても、
結局自分の思うような"作品"に、自分が仕上がらない気がするんですがいかがでしょうか。

その二つを見極めることができれば、自ずと生まれてくるものが、
『ならば、そのために何をやらなければならないのか。何をやるべきなのか』
・・・自分に具体的に今何が足りないかが見えてくるわけです。

『この蹴りを当てたい。だけどいきなり撃ったって当たらないから、例えばパンチをフェイントにしていこう。
得意な蹴りは別のコレだから、それを牽制に使えば相手は動きづらくなるんじゃないか。
まずそれで相手の気を引こう。そこからいきなりリズムを変えたらパンチに入りやすくなるだろう。
・・・なら、リズムを変化させるための踏み込みだったり、技を連続的に繋げて、
当てたい蹴りに潤滑に繋がるような練習をしなきゃいけないな』
とかね。

そういうのを実際やってみて初めて、『あー、自分、このペースで動くための体力が足りないわ』とか
『この蹴りがそもそもヘタじゃん』とか気づくわけです。
つまり、自分が自分を見つめて、実際のプランを立ててみないと、自分に何が必要か気づけない部分がある。

自分のヘタさはいつでも気づくのですが、それが具体的に自分の進む道に必要だと思えば、
危機感というか、それを手に入れなければというモチベーションは、漠然と「下手だな」と思っているよりも高い。
・・・
こういう作業を一足飛びにしてしまうから、何やったらいいのかわからなくなるんじゃないかなと思うわけです。

切り張りでいいので、そういうのを3個でも4個でも用意していくことが、
まず自分のスタイルに迷った時には重要な要素になりえると思います。

で、格闘技の考え方って世界の縮図だと思うんですけど(大げさ(笑))
上記で見つめた"自分"って奴は、外表面の自分なんですよ。
服を着た自分というか、気取った自分というか、

"自分らしさ"の檻の中でもがいている自分(←名もなき詩(笑))

というか・・・。

それを全部脱ぎ捨てて、本当の自分の特性を知ることができるのが、実戦です。
わたしもいい加減数え切れないほどの組手を見てきたので断言しちゃいますが、
実戦は、その人物の素を浮き彫りにします。
普段穏やかな人が実は猛獣みたいだったり、色々強がってる人が実はすごく慎重だったり、
すぐ冷静さを失ったり、臆病だったりガンコだったり・・・
飾らない自分の本性が出る(出てしまう)のが、組手なわけです。

それは組手の後の態度も含めてだったりもします。
極端な例ですが、厚木道場二十一年の歴史の中では、
「俺、絶対全日本で優勝しますよ。素質もあると思うんです」
と豪語していたある若者が、練習の組手で一度みぞおちに蹴りをくらって倒れたら、
その次の週からこなくなった、という例もあります。

それもこれも自分の本性です。気持ちの打たれ弱さ。見切りの早さ。
そういうのが如実に見られるのが、痛みを伴う叩き合いだと思います。
すぐに撤退する人は今回の話にはならないのですが、
痛みや気持ちの弱さに耐えて戦い続ける人が自分を見つめるのに、
組手というものはとても良い材料だということは間違いないと思います。

この"自分の内面を知る"・・・ということを分かりやすく言うと、
「自分を動物や虫に例えると何になるか」
みたいな話に似てると思います。

蜂なのに、カブトムシみたいな戦い方をしろと言ったって無理なんです。
だけど、蜂には蜂なりの戦い方というものがある。
蜂が蜂の戦い方を考えるために、自分が蜂であることを知らなければ、
そもそも間違った戦略を立ててしまうことになりますよね。
自分の内面を知るってそんなことなんじゃないかと思います。

ところがところが、これを知るのが、自分では非常に困難だったりします。
人間というのは先ほども言った通り、"自分らしさ"という服を着ていますから、
見つめようにも本当の自分から目を逸らす自分が邪魔をします。
だから自分の組手を振り返っても、すぐに内面を知ることは難しい。フィルターかけて見てしまうんです。

それを内面まで掘り下げるのは、まず自分がそれを意識しないといけない。
勝つ試合より、負けた試合を活目しなければならない。それが難しい。
だいたい人間というのは、本質は皆弱いんですよ。
自論ですが、わたしは強い人間なんてこの世の中には、めったにいないと思ってます。

人が人を見て「このヒト強いな」と思う時、見ているのはだいたい、
その人の我慢強さだったり、強く生きようとしている意志の強さだったり、
つまり弱さを隠すのがうまい人たちなのだというのが自論です。

みんな、本質はそんなに変わらない。
誰も、それほど強くはないと、わたしは思っています。
内面を見つめるというのは自分の弱いところと向き合うのと同じ。
そもそもそれと向き合いたくない心理が人間の弱さなのだと思うし、
その弱さを見たくないから人間は着飾るものだと思うので、外表面の自分とだけ話し合ってしまう傾向が、
大なり小なりすべての人にあるんじゃないかと思うのです。

だから、自分の組手を見返しても外表面に囚われがちで、
本質を探すのは難しいんですけども、先ほども言った通り、蜂はカブトムシにはなれません。
自分が、本当は何者であるかを知ることが、組手で自分のスタイルを見つけるのに必要なのだと思う。

きっと人生もね・・・とか言ってみますけど・・・(笑)

組手をして、自分を見つめる。ビデオとかでもいいし、
実際たくさんしてみてもいいと思います。
相手は強い人のほうがいいです。負ける方が気づきやすい。
そして、自分が何の動物かを知る。本当の自分を見つめる・・・

・・・皆さんが結論として想像した動物の中に、勝てない動物はない。
勝ってるから絶滅せずに生き残ってるわけですからね。
それぞれに生きながらえた方法がありそれはそれぞれに戦いだったはず。
せっかちならせっかちなりの、臆病なら臆病なりの、戦い方がある。
ちなみ、クマは臆病らしいです。

そして実際は、
ただせっかちとか臆病とか、2,3文字で片付けられる本性はまだ浅くて、
「せっかちだけど、こういう場面で非常に慎重。だけどこうなるとキレて我を忘れる」
みたいに、
人間というのは多面性を持つ生き物なので、2,3文字で言い表せるほど単純な人なんていません。
でも、それを自身で把握しているかといわれれば、「自分ってどんなヒト?」って原稿用紙渡した時に、
分厚い枚数で返してこれる人なんてそうそういないんじゃないでしょうか。

思ったより自分のことは説明できない。
だけど、そこまで自分を見つめられた時、初めて本当に今の自分に合ったスタイルを見い出せるのかもしれませんね。
組手もそうですし、さまざまなシーンで応用の利くことだと思うのです。

もっともわたし自身、そんな自分分析で原稿用紙を100枚埋めたとか、
そんなことしたことないので「しろ!」という事ではないのですが、
二十数年テコンドーとベースに格闘技に携わり、思うことは多かったし、自分の弱さを痛感し、
自分とどう接して戦うべきかを考えてきた一つの結論ですので、
もし自分の組手スタイルで迷うことがあれば、ここに書いてきた部分から洗ってみると、
何かの助けになるかもしれないことは間違いないと思います。

そして、そういう"自分"を外面からも内面からも見つめることができるから、
実戦ありの格闘技って貴重なのだと思います。

「自分を知るために格闘技をやってまーす」みたいなヒトなんて滅多にいないとは思いますが、
テコンドーを武道として精神修養の場とするならば、一つ、本当の自分を知ることのできる場所としても
存在しえるんだと思えば、それはすごいことだなと思うわけです。

そんな機会を享受できる場所に、格闘家はいるわけですので、何かの壁にぶち当たった

誰かの、何かの参考になればと思います。

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