ともかくそういう波があり、今、その波は引き潮です。
それでも一日たりとて一人も来ない日がないというのは本当に奇跡でありがたいことですが、
17年、何度その波を経験していても、引き潮のときは「道場の存続は大丈夫かしらん?」と、
そのつどびびりますねー。
しかしここに尊敬すべき言葉があります。ほぼ原文ママ引用します。
「殿様、只今娘に宅の様子を御話しがあったそうですが、
殿様には、私どもの暮らし向きは、とてもお解りになりますまい。
殿様には、ちょっと景気がよいように見えましょうが、
実のところを申せば、只今金といって一文もありません。
(中略)
お見かけのところは、ほんの世間に対する体裁を繕う義理ばかりで、
よし金がなくて苦しくても、するだけのことは、致しておかないと、
自然と人気が落ちて参りまして、終にはお客さんが、
ここのものは肴までが腐っておると思し召すようになってしまいます。
全体、人気の呼吸と申しますものは、なかなかむつかいしいもので、
いかほどの心の中では苦しくても、お客様方には勿論、家の内の雇人へでも
その奥底を見せるといけなくなります。
この苦痛を顔色に出さず、じっと我慢しておりますと、
世の中は不思議なもので、いつか景気を回復するものでございます」
・・・なんだこれ、
こんな読みにくくて古めかしい台詞を誰が吐いた?
とある料亭の女将さんです。それも時代は明治時代。
この"殿様"といわれてる人は現在までも名前が鳴り響いている偉人ですから、
彼が行くようなこの料亭は、さぞかし一流の料亭だったのでしょう。
その、内情はとても一流とはいえない料亭は、
一流の精神を持った女将さんが取り仕切ったがゆえに「一流」だったのだと思います。
わたしはこの言葉を尊敬しているし、かくあらねばと思い続けています。
そう思っていると、最近超初期のメンバー(16年前に入門)が最近また顔を出すようになりました。
就職をして、戻ってこれる状況ではないだろうと思っていた男が、数年ぶりに戻ってきました。
今度、数年ぶりに道場に遊びに来る男がいます。
わたしは経営手腕などありゃしませんので、結局、人を待つことしかできないのですが、
待っているその時の顔は、いつも笑顔でいようと。
同時に、去る者に対しては悲しんだとしても絶対に恨み言は言うまいと。
・・・きっとこの女将がそうであったように、いつもいつも、いつもの田川であろうと思っています。
いやぁ、しかし、すげえ女将がいたものです。
これを実践して実践しきることは、非常に難しい。
でも、これはとても大切な真理だと思います。
今回のコラムは女将の台詞以外、内容は無いようなものなので、
上記カギカッコの中だけ、もっかい読んでみてください。(自営業者限定か?これ・・・)
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