雑記などのコラムです。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2月雑記(魔王) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
あまりここで田川個人のことは書かないという方針なんですが、 現役、OB含めて想像以上に祝われてしまったので、報告しておきます。 田川家、子供生まれました。 といっても生まれたのは12月です。 アツテコカップを終えた30時間後に、出産予定日を40日以上残して突如生まれてきたせいで 当初は命だの後遺障害だのの危険も大きく、おめでたいのか危ういのかわからない状態でした。 その30時間はショートフィルムになるんじゃないかというような葛藤のドラマがあったといったら ちょっと大げさなのかもしれませんが、アツテコカップの宴の後、少なくともわたしはその物語の住人として、 長い長い宴を続けていたことは間違いないです。 内容的には恥ずかしい部分だらけなので置いておくとしても、 厚木道場のイベントが終わるのを待っていたかのように突如加速した物語は、 ダンボールのあゆコロちゃんはじめ、アツテコカップの残り香を家中に散乱させたまま、 決着がつくまで止まりませんでした。 アレですよ。終いにゃ夜中の2時にママチャリで、東海大学病院までの上り坂(家から片道約8km?)を 息を切らしながら走ると言う、「どこの青春ドラマだよ」的なシーンもあったりして・・・。 ・・・思い起こせば滑稽でわらっちゃいますけど、あの時は他に手段を考えている余地は なかったです。 人間ってのは、その瞬間、その瞬間を、意外にドラマみたいに、一生懸命生きているんだなぁとか 振り返れば思います。 あの時はたとえケーサツに止められそうになっても、絶対振り切って病院まではたどり着こうとか 本気で思ってましたからね。(チャリで) まぁ、追いつかれても二人くらいなら何とかなるだろうと本気で思っていました。(蹴りで) ともかく一分一秒、自分が二人の元へ向かっていなければという気持ちが、一心不乱に ペダルをこがせていました。 まぁ、それだけ切羽詰った状態が、その一瞬には存在したということでもあります。 最後、医者のついたちょっとした嘘と機転のため、この運命で無事に生まれてきた子供は40cm、1750g。 何本もの点滴針がささっている中で不気味にうごめくその姿(表現おかしい(笑))をはじめて見たときは 実はまた別のことが心配で子供どこじゃなく「なんかいる」という程度の認識しかなかったのですが、 その後、長い入院を経て家に戻ってきて、わたしの進路妨害を、その声でするようになると、 「あぁ、なんか猫みたいなのが増えたなぁ」という認識に変わりました。 ・・・・・・ ・・・ だってしゃべらないんだもん!!! |
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