雑記などのコラムです。
2月雑記(テコンドーらしさ)
先日ある道場生からいただいたメールの中に、その通りだなと思ったことがあったので、紹介します。
(本人には軽く了承を得てます(はず(笑))

曰く、
「ボクシング、空手、キック、テコンドーetc...すべての格闘技を
全部取り入れた格闘技が生まれたら強いだろう。
(それが強くなる近道としてみなにうけいれられ)どの街へ行っても
その格闘技の道場ばかりになることは俺はうれしくない。
(飲食にたとえれば)同じ店が全国展開して他の店をなくしてしまったとしたら、
北海道に行っても沖縄に行っても同じ味になる。違いがなくなる。
味の違いや好みの違いがあるから面白いんだ。

要約させていただきましたが、そんなところです。

つまりはすべてが平均化して効率の良い状態は、良いのかもしれないがつまらない・・・ということなのでしょう。
これは一格闘家として強さを目指すならさまざまな考えがあっていいと思います。
ただ、「テコンドー道場」を主宰している身としては、しっかりと心に留めておかないといけないことだと
思いました。

テコンドーというのはかなり前のコラムでも言ったとおり、強くなるのに、「〜らしさを出す」のに
基本的には遠回りをする格闘技だと思います。
ローキックのスペシャリストになれば柔軟せずとも相手にダメージを与えられるし、
飛んで回らずとも相手は倒せます。
テコンドーの理論を実践できれば強いですが、それを実践できるレベルまで引き上げることが
他の格闘技に比べても難易度が高いことは間違いないです。

たとえばキックボクシングが時間に比例して強くなるなら、テコンドーは二次曲線(っていうんでしたっけ)
みたいな成長をする格闘技といえます。
だから、その成長途上で異種格闘技戦をするとテコンドー家の多くが苦戦を強いられてますよね。
何を競うわけでもないですが、テコンドー弱いといわれるのはくやしいです。

という負け惜しみはともかく、テコンドーにはそんなわけで技術として習得し実戦配備するのに
わざわざ練習メニューを増やさなければならない項目が多いです。
必要あるかといわれれば、もっと難易度の簡単なことでも代用できてしまうので、それらの技術は
どちらかといえば敬遠されてしまう傾向にあります。
そして昔の試合では見られて、今の試合ではほとんど見られないテコンドーの技術というものが
いくつあるのか。

簡単な技術を高めたほうが簡単だし、洗練されます。
技術として、使えない技術はないのも一緒。むずかしいものを洗練させるよりは、
同じような効果のある簡単な技術を洗練させたほうが、そりゃ自分のレベルアップもわかりやすいです。
でも、だからといってその効率の悪いテコンドーの技術を全部取り払って強くなる近道を目指して
完成した選手を、「テコンドー家」といえるでしょうか。
いえ、正確にはわたしが言いたいのはそっちじゃない。
さっきも言ったとおり、一格闘家として自分が満足いく形であれば
どのような方向性を持ってもかまわないと思います。
ですが、テコンドーを伝えるほうとして、そういう技術を全部排除して効率のいい練習ばかりを
行って回り道をしていない選手を作り上げる道場を、本当に「テコンドー道場」と呼んでいいのか。
それを道場側が首肯すればするだけ、格闘技として、テコンドーが他格闘技と平均化していくことに
なります。
先ほどの言葉を借りれば、大型量販店と化したテコンドーにどれほどの魅力があるのか、ということです。
(テコンドー界の規模の大きさの話じゃないですよ)

K−1が良くも悪くも格闘技を盛り上げ、平均化させていきました。
テコンドーもいつまでもまったく役にも立たない「奥義、秘剣シラユキ(なんだそりゃ)」を教えてるわけにも
いかないと思います。増える技術減る技術など、あって当然のことだし、
他をまったく受け入れない純血根性が栄えたためしはありません。
ただ、テコンドーを作り、選ぶのはその時代その時代の選手でも、
テコンドーを伝えるほうは「これがテコンドーなのだ」という技術を
余すところなく提供していかなければ早晩それは「テコンドー」ではなくなってしまうということです。

これはおのずとこれからのテコンドーの普及の方法にも言えると思いますし、
冒頭紹介した方がいってることは人間の生き方の心得としても参考になりそうなので、
今回の内容は一格闘家としては考える必要のないことなのでしょうが、
紹介させていただきました。

そんなわけでこれからもうちは、例えだれもできなかったとしても、非効率だとしても
テコンドー独特の技術の時間を設けます。
それは、以上の理由だと思ってください。
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