雑記などのコラムです。
厚木テコンドー道場12周年
去る8月1日の昇級試験で、厚木道場では初の赤帯が誕生いたしました。
厚木道場がまだITFに所属していたころからも含め、「初の赤帯」ってことで、
これがどれだけすごいことかというのは全国のどこにも伝わらないかもしれませんが、
少なくとも、厚木テコンドー道場長、田川にとっては一つの節目です。

そんな節目に厚木テコンドー道場は12年。十二支をはじめとして
日本の暦ってやつは12年で一回りなので、ある意味「お帰りなさい」な年数をめぐってまいりました。
12年前のこの月に「はじめての白帯」を迎えたことを考えれば、
「はじめての赤帯」が今、練習で汗を流してることは道場の大きな成長だと思います。
・・・が、それ以上に、わたしにとって、赤帯というのは特別な帯なんですよね。

テコンドーを始めた時、わたしを直接教えてくれた方、つまりうちの主将は赤帯でした。
2つ上の先輩だったんですが、
この方もなかなかに容赦のない方で(笑)、ともかくボディラングエージ?
いつもめいっぱい殴られて鍛えられまして・・・。
当時練習場には黒帯はいませんでしたので、わたしの中で赤帯というのは指導員格で
うちらにとっての最高の存在でした。

そんなわけでそんな「赤帯」が誕生したということです。
一応但し書きってことで、所属したときにすでに赤帯・黒帯な方も過去現在で何名かいらっしゃいます。
今回の話は、うちが今、この体制になってから、白帯から始めた人が、はじめて赤帯を取ったんだぞ
という事件(笑)です。

独自帯を出すにあたってどれだけ悩み、みなの意見を聞きつつ何度挫折しかけたか・・・
・・・テコンドー界で決してうちが独自路線を歩みたいわけではないこととの葛藤の中で
生まれたこの帯制度。もっというなら、それを取ったからといって、全日本、世界の
夢も見せてあげられない中で、それでも、うちで、色帯の最高峰まで努力してくれた人がいる
ということを、12年の節目で報告できることが、ありがたく、
浮かぶ気持ちは、ただただ感謝です。

そういやテコンドーブームみたいなのってありましたね。
WTFの岡本選手がオリンピックで3位を取ったとき、なにを間違ったか(笑)爆発的に
道場生は増えたものです。
その後も、格闘技ブームっていうのは確かにあったと思います。
それに比べると、現在は昨今の不況もあいまって、格闘技は全体的に厳しいように思えます。
テコンドーに限らずいろんな話を聞くにつけ、
子供をメインに教えざるを得ない様子のところも多いようです。
子供には習い事をさせても大人は今その余裕がないという世の中なのか、
たんに格闘技が飽きられたか・・・それは分かりませんが、
そんな中でも(今年は練習人数が減ったとはいえ)大人をメインにテコンドーを教えることができる
環境を持つわたしは幸せなんだなと思います。

わたしの希望ですが、「大人に」教えていきたいんですよね。これからも。

テコンドーっていう武道がおもしろいこと。趣味を持つこと、身体を動かすことの重要性

流行モノみたいな浮ついたものじゃなくて生涯自分自身と見つめあっていく場所であること、

チャレンジをするのに、大事なのは気持ちであり、年とかは関係ないってこと。


・・・そういうのを、「痛感」できるのって、失うものが見えはじめた大人だからこそじゃないですか(笑)。

ここの記事が、どれだけの道場生、道場生を越えて別の方々の目に留まるかは分かりませんが、
そういう信念?みたいなのを伝えていけるのは、少なくとも、わたしがここを続けていけるから
こそなのだと思います。
厚木テコンドー道場をを支えてくれている道場生、応援してくれている方々、すべてに感謝です。

まぁ、そんなわけで日本は12年一回りです。
ということはわたしはもう一度スタート地点に立ったということで、スタート地点っていうことは
言ってみればこれから何でもできるってことなんで、さらにさらに気合入れて!
がんばっていきます!!


〜〜  わたしが1周年目の練習の後に語った夢を、

聞いて微笑んでた人たちはもう誰もいませんが、

その夢は、まだまだ厚木道場に生き続けています  〜〜

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