雑記などのコラムです。
4月雑記(リクツ)
戦うことというのは、最終的には理屈の世界ではないと思います。
技を持ってる人が勝てるかといえばそうでもなく、気合があれば勝てるかといえばそうでもなく・・・
なにとなにとなにが必要で・・・と、言葉ではいえても、具体的に「ではどうすればいいか」を
得ることは非常に困難です。
それが自分の性格によっても、相手の実力によっても、どんどん変わる要素だと思うので、
まーー、一言で言えば「厄介」ですよね。(なんだそれ)

言葉では説明つかないところを自分の体で覚えていくために、格闘技は鍛錬するわけで、
実際に相手と対面して試し合っていかないことには、理屈だけ知っても
評論家にはなれても強くはなれません。

こうなってくると、結局戦いは実戦の数、何にも考えずにいっぱい戦うことが、強くなる近道。
・・・考えがちです。しかもあながち間違いじゃないと思います。

が、それならケンカと同じで、単純にでかいほうが強い世界からは抜けられません。
おそらく格闘技というのは、そういう、一番原始的な腕力勝負の戦いに勝つために、
「技術」というものが上乗せされてきたのだと思います。
(例えば)腕力だけでくる相手に対して、こうしたら効率よくさばくことができる、だったり、
こういう体の使い方をすればより一層強く攻撃できる、だったり、
単なる腕力ではことが足りない非力な人間が、できる限り対抗できるようにするために
生まれてきたものなんじゃないかと。
何もしないでも、ぶん回せば人が倒れるような威力を持ってる人にとって、
そんな考えは必要ないからです。

強いものに対抗するために、技術が生まれ、その技術に対抗するための技術が生まれ・・・
たぶん、戦争の兵器と同じです。
強い人間にも楽に勝てるように、飛び道具ができて、
それに対抗するためにもっと遠くに飛ぶ飛び道具ができて、
その被害から自分を守るために、いろいろな防衛手段が開発されて
その防御網を破るための新型兵器が生まれて・・・の繰り返しですよね。

そこには「技術」という「理屈」が入ってきます。
よくわかりませんが、物理的なものや、効率的を考えたもの・・・例えばそんなもの
・・・いろんな要素を踏まえて、格闘技というものは体系化されています。テコンドーもしかりです。

ただ漠然と蹴りを蹴っていくのももちろんアリですが、
どうしたらもっと効率よく威力が出るのかとか、この蹴りの使いどころはどこなのかとか、
そういうところを追求していくことに、格闘技が単なる殴り合いからはなれて、
遊んでいける場所なのかなと、思うわけです。

理屈を知って試して、やっぱ駄目で改良して、また試して、の繰り返しです。
ただ戦うだけじゃなくて、どんどん新しいことを試して遊んでいくところに
格闘技の楽しさはあるし、その引き出しを増やしていくことが、どんな状況にも対応できる
強さにつながるんじゃないかと、思うわけです。
それをさっき言った「言葉じゃない部分」にまで昇華させないことには、ただ遊んでるだけであり、
「意識しなきゃできないことを、意識しなくてもできるようになるまで鍛錬する」
・・・って、そこは道場で言ってるとおりです。

まとめます。
冒頭でも言ったとおり、戦いは、最終的には理屈ではないです。
が、理屈に裏打ちされた自分の技術があるからこそ、
理屈ではない世界の土俵に初めてたつことができるのだと思います。

強くなるのに理屈はいりませんが、より強くなるためには理屈も必要です。
初心者はもちろん、熟練の方々も、そこを押さえて、もう一度しっかり、
テコンドーの一つ一つの技を吟味していただけたら幸いです。
TOP
HOME
ATUGI... TAE... KEIKO COL... ACC... BBS MAIL LINK