雑記などのコラムです。
12月雑記
本当に寒いと思ったら雪が降ってきましたね。

小学生の頃はこんな風に雪が降ると「積もれ積もれ」と祈って、
ひとたび積もれば自分ちの庭に少しでも多く雪を集めようと
今は青テコをやっている公園広場に雪を拾いに行くという奇行に走っていましたが、
今では、雪を見ると「うわぁ…今日の夜、車で走れるかなぁ…」と
そんなことばかり気にするようになってしまいました。
年末などは人にも会わないので、ヒゲをのばしっぱにしたら
すっかり落ち武者のようになってしまった今日このごろです。

さてさて、今年もおつかれさまでした。…というのは掲示板で書くとして、
今年最後の議題は少し難しく、武道について…です。

先月もそんな事に触れましたが、私なりの所見を述べておきますね。
武道を習得するつもりで厚木道場に来ている場合は、参考にして見て下さい。
あ、それと、あくまで個人的な意見なので、
ここでの言葉を元に「武道」を語るとえらい目に会うかも(笑)。


ぶどうを辞典で調べてみると「古くから栽培されているつる性の落葉低木」とあります。
……。
…。
そりゃぁ「葡萄」やねん!!

…なんて書いたらみんな帰っちゃうのでやめておいて(書いてるけど)、

「武道」のほうを辞典で調べれば「武術を磨いて万一の時に備えるべき、武士の道」とあります。
つまり武道っていうのは武士道の精神を武術に結び付けたものであるといえます。
ならば武道の意味を知るには武士道を…ひいては武士はどんなものかを知らなければなりません。

武士といえば、「士農工商」の士も武士ですが、
武士道の言う「武士」はきっとそういう「地位」のことではなく、
「思想」や「生き様」のことをいっているのだと思います。

ではどういう「生き様」が「武士」なのか。

はしょりますね。色々調べた結果、私なりの言葉でまとめると、
「日本的美意識の中で、カッコよく生き抜いた人」
…究極、武士「らしい」はここに行き着いている気がします。

その日本的美意識というのは、
「損得感情をすべて無視して、何か自分ではない、他の者のために、
自分という生命をとことん美しく飾ること」であり、
これを遵守したものをカッコよく生き抜いたと…そう生きることを「武士の道」として、もっとも尊んだのだと、
色々な資料からそう思いました。
「二君に仕えず」とか、「潔く腹を切る」とか、どう生きたらカッコイイか
と言う精神的満足を究極に突き詰めたものを「武士道精神」というのだと私は考えています。

ちょっとわけわかんなくなってきましたけど、まだ帰らないでくださいよ?

つまり、「武士道」というのは究極の自己満足を得るための精神なんですが、
自己満足って言葉は本来あまり良い意味では扱われません。
しかし、
私はこの自己満足と言うものは人間に絶対必要なものの一つだと思っています。

自分が満足できていないことで、どうやって自分に自信を持たせることができるのでしょうか。
自分が納得できることをしていかなければ、自分に説得力を持つことなどできはしません。

それが、武士道であり、武道の根本精神だと、私は思っています。

しかし実際、こんなのは奇麗事であり、生きていくには自分の納得できることばかりはやっていけず、
自分の満足など、到底及ばないところで人は生きていかなければなりません。

でも、だからこそ、せめて武道という、かぎられた空間の中だけでは、
その理想を追求していきたいと、私は思うのです。

私が今までとってきたテコンドーに対する行動だって、
今まで書いて来たコラムだって、というか
このページに書いてあることのほとんどはキレイゴトで飾られていますが、
そのキレイゴトを追求してこそ、「武道」なのだと思ってます。
それは強さ然り、礼儀然り、廉恥の心然りです。

さらに良く分からなくなってきましたが、
ともかく、私が言いたいのは「日本的美意識を持ちなさい」ということでも、
ナルシストになりなさいということでもありません。
むしろ、「だからこうしなければいけないこと」などということはないと思います。
ただ、テコンドーを「格闘技」としてだけではなく、「武道」としてとらえてもらえるならば、
この事について、各人が各人なりの価値観から自分なりの「武道観」のようなものは
絶対に持つべきことだと考えています。

お正月、皆さんも骨休めができると思います。
この機会に、こんな、普段はドンくさくて誰も考えないようなことを
真剣に考えてみるのも、また一興(笑)、でしょう。

ともあれ、来年もどうぞ、宜しくお願い申し上げます。

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