雑記などのコラムです。
4月雑記(テコンドー、組手で学ぶこと)
さて、雑談に終始している最近のアツテココラム。
どこに需要があるのかもわかんないのに書いてるってとこで、
武道はサービス業じゃないんだぞと自分を納得させる日々です。
いいかい、武道はサービス業じゃねぇ。所属する人はお客でもなければ神様でもない。
全国津々浦々そんなことを考える人間に武道を学ぶ資格はないし、
そういうことを考えて道場経営を行っている道場などは潰れてしまえばいい。
・・・
などとはいいませんが。(←言ってるじゃないか)
指導する人間が偉いわけじゃありませんが、私はこんな時代だからこそ
武道というものがサービス業と勘違いされてはならないと深く思っています。

えっと、今日はぜんぜんそんな話じゃありません。

何書こうかなと思って、ざっと過去の記事を読み起こし、
去年の『交通事故から学ぶテコンドー』が私の中でツボだったので、このシリーズでいこうかと思います。
『テコンドーをやる上での考え方、格闘技を戦う上でのセオリーみたいなのを書いたら
面白くね?(去年の4月の記事より)』という主旨の内容です。
現役のころはそんなこと考えもしなかったので、あくまで理論として聞いてください。

私は常々、組手というものは会話だなと思っています。
もっと言えば、"交渉"です。相手と戦う上で、どうアプローチすべきかということが、
現実の人と人との駆け引きに置き換えられるのかなというのが今日の話題です。

例えば、今目の前にいる人が持っている百万円がほしいとします。
それを手に入れるために、あなたはどうしますか?
素直に「ほしいからください」とお願いして「おっけー」と言ってくれるどっかの石油王ならいざ知らず、
常識的に考えればここでどうやって説得するかを考えなければいけないところです。
その際、愛と脅し(笑)だけで反論の機会も与えず、畳み掛けてしまうやり方もあれば、
「その百万円をくれることによって、その人にどのような利益があるのか」を説いてみてもいいと思います。
それが詐欺(嘘)でもいいんです。
「息子が病気で、明日百万円の手術を受けないと明後日死んでしまう」と、
息子なんていない人が泣きついてもいいし、
「あ」って向こうの方を指差して相手が向こうを向いているうちに
取れるもんならとっちゃったっていい。
どうしたらその百万円を相手から手放させ、自分の懐に入れることができるのか。
・・・ようするに、これを考えるのが格闘技の戦略ともいえるんじゃないか。
そう思うのと同時に、そういうことを考えることが、格闘技を普段の生活でも役に立たせるための
要素なのではないかなと思うわけです。

どんな手を使ってもいいのですが、共通して行うべきは、『相手を知る』ことなんですよ。
相手がどんな人で、何を言えば百万円を出してくれる人なのかを考えなければたぶん成功しない。
同じ方法が別の人に通用するとも限らない。
例えば相手が気の弱い子犬なら、ただ横暴に攻めるだけで相手は怖がって百万円出してくれるかもしれませんが、
相手が『空手三十年、柔道五十年、忍術四十年、おんとし百四十歳現役』のような仙人だったら
そんなものは通用しないでしょう。

上記の例は極端ですが、見た目で分からない多くの場合、最善の答えを出すためには相手を知ろうとするしかない。
相手がどういう人か、何を考えているか・・・外見だけに騙されないためにも、実際にしゃべってみる必要があります。
組手も同じであり、だから私は「組手は会話」なのだと思っています。
「組手は会話。その中で"倒す"という意思を伝える場」と置き換えることができるのなら、
意思を効率よく伝えるのに、ただ「俺の話を聞いてくれーーーー!!!」だけでは通じないことは、
おそらく実社会を生きてらっしゃる皆さんなら誰もがしっていることだと思います。
ならどうするか。
勝ちに行くために相手を知りにいく。そのために会話をする。そこで、『相手を見る』んです。

相手を見て、相手が何を考えているのかを理解しようとする。
相手が何をしたがっているのかを見る。相手が何をされると嫌なのかを考えてみる。
今相手は強気なのか弱気なのか。一つフェイントをかけてみたら相手は何をしようとするのか。
とにかくイノシシみたいに自己主張をする人なのか、挑発するフリして本当は休んでいたりしてないか。

・・・それを踏まえ、今の自分が何をすればいいのかを考える。
相手の言葉に付き合う時も大事だし、付き合ってたら大変なときは無視することも大切です。
時には、相手の言葉がどうであろうと自己主張してしまった方が有利に事が運ぶこともあれば、
相手を怒らせて、夢中にさせれば隙が生まれたりもする。
如何に相手の出方に応じて反応できるか。その流れが見えるかどうか。
組手の時間は二分ですから、その間に自分の意思(自分の攻撃をあてる)も伝えなければなりません。
相手を知り、適切に会話をすること。・・・それが効率よく相手から百万円を手に入れる方法になるわけです。

そんなの当たり前じゃん。と思う人もいるでしょう。それを自然に行っている人もいるのだと思います。
しかし、そんな意識はなかった人も決して少なくないはずです。
そして、この『相手をよく見る』ということは実社会でも役に立つ要素となりえるのではないでしょうか。
ほんのちょっとした会話の中でも、相手を無視して自分の主張ばかりをしても話は円滑に進みません。
相手を見て、今相手が何を望んでいるのかいないのか、言葉を発してみた時の反応、
それが、相手に何かを伝えたいことがあるときはなおさら、相手が聞きやすい流れを作らなければならない。
今が自分の番なのか。・・・時には強引に差し挟まないとキリがない時もあるでしょう。
でも、そればかりでは嫌がられますよね。
一方で相手が何を言ってるかをしっかり聞くからこそ、その糸口が得られることもあります。
私がそれを完璧にこなせるかと言えば、もちろん組手と同じく、いつもうまくいくわけではないですが、
私としてはこの空気感というのは、組手も会話もそうそう大きく離れたものではないと考えています。

つまり、普段から武道の練習で相手をよく見る癖をつけ、相手が今発している空気を理解することは、
実生活の空気を知る機会にもなるということだと思います。
組手は要するに「相手が嫌がることは何か」を追求することになってしまいますが、それは翻れば、
「相手が何なら嫌がらないか、何を望んでいるか」を知ることでもあると思うんですよ。
組手の一瞬一瞬でそれが(完璧でなくても)分かるようになれば、普段の会話や交渉事もより円滑に
話が進められるきっかけとなるのではないかと思うのです。
それが、現代にも活用できる組手との接し方なんじゃないかと思うのですがどうでしょうか。

人を見ろ、人のことを考えろ。
その中で、自分というものを主張する方法を考えろ。


・・・実際、そんなことを考えなくても組手はできます。
脳みそを筋肉にしてただひたすら反射神経を鍛え、破壊の衝動(笑)だけで組手。
恐らくそれで実力に差が開けば、人のことなど考えずとも勝利できるでしょうし、
「そんな勝利は邪道だ」ともいえません。格闘技は相手を倒すことを目的としているからです。
さりとてテコンドーは武道でもあります。
相手を倒すためなら手段など問わないのが格闘技(ルール内なら)。
しかしてそこに精神の修養を絡めて成長していくのが武士道・・・というわけです。
肉体に精神がついてこなくてもいいスポーツやただの殺戮ならそれでいいと思うのですが、
武道として、心身ともに修養しようという気持ちがあるなら、加味してもいい努力だと思うんですよ。

もし「なるほど」と思う部分があれば、"相手を見る""相手を知ろうとする"ということを、
実践してみていただけたら何よりです。

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