雑記などのコラムです。
9月雑記(雑談。神になれ!!(笑))
道場の練習方針って二種類あると思うんです。
すなわち、答えを出してある練習を行うのと、自分で考えて答えを出す練習。
前者は、「こういう動きをしなさい。目をつぶってもできるようにしなさい。そうすればうまくなるよ」という感じで、
後者は、「人間ってこういう心理があるから、それにあてはめてどうするかは自分で戦術を考えてみてね」と。

厚木道場は基本的に、後者の方針を採ってます。
いや、だってね?・・・私としてはそのほうが面白いでしょ?と思うのです。
皆、得意な蹴りも違う。性格も違う中で、私の思い通りの動きをすれば強くなるし、そうでなければ
強くなれないでは、カタにハマればいいですが、ハマれない人は違和感しかないという
状況に陥るのだと思います。
そもそも、誰かが提示したことを、自分で考えずに行えるようになっても、応用が利かない。
「ではこのパターンではどうするか」「こうなったらどうするか」をいちいち他人に
聞かなければできない状態ってどうなんでしょうか。自転車に補助輪ついているようなものじゃないですか。
もちろん、「人に聞いてはいけない」と言ってるわけではないのですが、根幹のところで「自分で考えられること」が、
物事に臨機応変に対処し、状況を切り抜ける糧となると思うんです。

「強くなる」って何かと、私が個人的に定義するとすれば、
「物事に対して冷静に対処する力」なのだと思っています。
浮き足立ったら人間は正確な判断ができなくなる。冷静に対処できているうちは、間違いも少ないです。
その「浮き足メーター」みたいなのが、5で浮き足立つよりも、8まで、10まで耐えられる方が
よりどんな状況にも冷静に対処できるという意味で、「人間的に強い」といえるのではないかと思うんです。
それには、人に言われたことをこなすだけの能力よりも、自分で考えて状況判断し切り抜ける
・・・すなわち、自分で物事を考える、もっと言えば、創造していく力というのが
必要不可欠なのではないでしょうか。

もちろん、テコンドーの練習はテコンドーの試合に勝つために行うものですし、
そのためのセオリーというものは、多々存在します。
それを「こうしなさい」と教えていけば、早く勝てるようになれますし、
冒頭の話も、実際どっちが早くうまくなるか。というと、前者の方なんだと思います。
最近はだから、そういうのを絡める練習がうちも増えてしまった。
だけど、私は大本の部分で、練習生はもっともっと自由に物を考え、
テコンドーというものを創造していくべきなんだということを思っています。

昔、私が大学で練習をしていた頃にやっていたことで、一番今も役に立っているのが、
練習後の「あそび」だったりします。
いろんなことを練習して、「はい、終わりました」のあとに、
「今日はこれが当たらなかった。このフェイントに相手は引っかからなかった。
じゃあ、これにこれを足すとどうなるのか」
と、自分で新しい工夫をし、後輩つかまえて、
「ちょっと受けてみて」とか、「いや、この時はこうくるんじゃね?」とか、
いろいろ話し合って、へんな(?)技をいっぱい作り出していった。
・・・それが、今のフェイントの引き出しに、大きく貢献したりしています。

私が言ったことをすべてやりこなせたとしても、私以上にはなれない。
自分で自分のテコンドーを創造していくことが、自分の可能性をより広げることにもなりえるし、
そうやって創り上げた『自分だけのテコンドー』こそ、実は皆さんが学びにくるべきものなんじゃないかと思うのです。

でも、最近そういうテイストがやや減ったのはなぜか。
正直言えば、『自分で考えてテコンドーをする人が少ないから』です。
スミマセン、馬鹿にしているわけじゃないし、必ずしも全員というわけではないのですが、
冒頭の後者の方針というのは、
自分でどんどんどんどん考えてトライ&エラーを繰り返してくれないことには、結局何も身につかない
という難点があるのです。
そして、めきめきと何かが身につくほどに、いろいろ生み出している人がどれだけいるかなと考えた時、
私が見ている中で、『意外な動き』をしている人はなかなかいません。
それならね・・・正直、「これをしなさい」と答えを一つ投げてしまう方が、
「できるようになった」という点で、分かり易い成長ができるのかなと・・・
いや、実際、私の方も楽なんです。カタにあてはめた練習ができますから、
こちらの狙い通りのつまづき方をしますし、そうするとあらかじめ用意したアドバイスをすればいいわけですから。
練習が「決まっている」ので、回数をこなさせることができますから。練習の効率もいい
でもね・・・

「練習でやったことができた。言われたことができた!」
というのは一つ、喜びなのかもしれませんが、
「テコンドーの理屈に添って、俺はこんなことができるようになった」
のほうが、本当は全然素敵なことなんじゃないかなって思うんです。
なにも「空中三段蹴り」みたいに、身体能力と若さ(笑)が求められるようなことをしろってわけではないのです。
「これとあれをくみあわせてみる」とか、「こんなふうにだましてみる」とか、
そういうのって、ほんの小さな工夫なんですよ。

自分で考え、自分で創造し、自分だけのテコンドーを創り上げる。
・・・聞いててもワクワクしませんかね?

・・・私は、そういう試行錯誤が飛び交う道場を目指したい。
常々、そんなことを考えています。
(なお、2014年の雑記に、「余計なことは考えるな」的な内容がありますが、
あれは、今日言っている「自分で考えろ」とは、まったく意味合いが違います)
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