雑記などのコラムです。
8月雑記(雑談。やれ。用意はする)
8月といえば前期〆稽古の季節なのですが、今年はそんなわけで、誰がいきなりこれなくなったり、
そもそも施設が使えなくなったりするかわからんなというところで、どのようにでも転べる企画を行いました。
昇級審査<体験版>・・・これなら多少何があっても潰しがききます。
2020年というのはどうも、なかなかいろいろ難しい年ですが、あるものを駆使して戦うしかないという、
ある意味での諦めというか開き直りというか、・・・なんとなく野戦病院のような様相を呈している今日この頃です。

まぁしかし、昇級審査というものは、基本的には苦行でしかないので、今回は参加者にも
つき合わせた感が強く、わたしとしても
「なんだかんだと言い訳しつつ、俺も企画をサボったな・・・」
と言う思いでいます。
なんとなく気持ちの盛り上がらない2020年。世界の気力の低下に影響される自分自身が
2月分コラムのようなことを偉そうに言える立場でもないですね。わたし自身もまだ修行が足りないようです。

ただ、久しぶりに本気で組手に臨む人たちの目は、そんなネガティブなものでなく、逆にキラキラしていて、
やっぱり本気になれる場所って大切だよなともすごく思いました。
みんな、本気の目になるんですよ。そして終わった時、それぞれ満足そうというか、「うん、これだな」みたいな
顔をしていて、「やっぱみんなは、コレをしにきてるんだよな」と改めて感じさせられたというか・・・

昔の厚木道場というのはもっとマッソギが多かったんですよ。
みんな若かったというもありますが(笑)ガチマッソギは毎回1〜2ラウンド行ってましたし、
練習途中で練習が終了し、あと県立病院へ行く手配・・・みたいなこともしばしばでした。
最近、それがなくなっちゃったのは、やっぱりそれをすると、残れる人しか残れなくなっちゃう道場となるためで
怪我も含め、選手たちの寿命を延ばすために(?)、今のような形となっています。

とはいっても、繰り返しますが「やっぱみんなはコレをしにきてるんだよな」なんですよね。
組手中に怪我をして、指導者である私がうらまれたことというのはありません。(たぶん)
みな、当たり前のように自己責任だと思っているし、むしろ、怪我をさせたほうに、
怪我をした方が気を使っていたりします。
たぶんそれも、要するには「やっぱみんなは、コレをしにきてるんだよな」ってことなのかなと。

実際は、怪我で長く休まれるのももったいないし、モチベーションがそうでない人もいるし、
そうでない人に無理強いをすると続かないことはわかってるので、
「今日から厚木道場は15年前に戻る!!」みたいな宣言をするわけじゃないのですが、
やりたい人が満足できる道場作りをもっともっと考えていきたいなと改めて思える前期〆稽古でしたし、
前期〆稽古の内容は、まぁまぁ、コレで意外によかったんじゃね?と現在では思っています。

そして、そういう刺激をコンスタントに思い出すという意味でも、やはり節目節目にイベントがあることは
大事なんじゃないかと思いました。
コロナコロナで、なんとなく世間はやれることすらやらなくなっているムードにある気がします。
でも、これはわたしがテコンドーをやってきた上での実感ですが、
『やらなくなっていくことって、やれなくなっていく』んですよ。
つまり、コロナでも何でもいいんですが、やれることすらやらなくなっていく・・・ということがどういうことかと言えば、
『やれることが、やれなくなっていく』
ということでもあるということ。
そして、やれなくなった自分を見つめて、「しかたない」と思うのが、人間の「老い」だと思うんです。

要するに、「やらなくなる」ということが、老いのはじめなんです。
数ヶ月前のコラムで、
「どんなコンディションでもステージに立て。その結果、全然ダメでもいいじゃないか」
と書きました。
それさえやらなくなれば、そんなことはやれなくなる。できなくなるんです。
人間は精神のイキモノですから、体が元気でも気力が萎えていれば動けない。
体が元気でも、動けなくなるんです。そして、それが、体自体を、動けなくさせていくんですよ。

今、世の中は高齢化社会で、
「自分の老いを受け入れよう。もうがんばりすぎないで」
みたいな風潮が並んでいます。
誰もが老いるし、老いが悪いわけではない。
でも、何もできなくなっていく自分に「しかたない」を積み重ねながら、さざなみとなって、
自分に折り合いがついていくならいいのですが、
「こんなはずじゃなかった」と思う瞬間が、未来のどこかの地点であった時、
その瞬間、人は自分を残念に思うこともあるんじゃないかと思うんです。
わたし、何度か繰り返しましたが、整形外科のリハビリ科で数多くの高齢者と話をしました。
今はよくても、未来永劫よかったかといえば、悔やむ方も少なからずいるのです。
『やれることをやれるうちに諦めて、やれなくなっていったこと』を、です。

やれやれ言われてもうるさいものかもしれませんが、
「無理は禁物、自分のペースでいいんだよ」が今の風潮なら、
私のようないつかどこかで訴えられそうな馬鹿の意見はマイノリティだと思うんです。
ならば、私が言うことは、他の誰も言わないことなのかもしれないわけです。
いや・・・職場とかだと当たり前に言われるのかな・・・だからブラック企業とか言われるのかな・・・
だけど、ぶっちゃけた話、体を動かし続けることって、あるいは給料を得て衣食住をしのぐことと
同じくらい、大切なことなんじゃないかと思います。
だからやっぱり言っておこう。
やり続けましょう。できることが、できなくなっていかないように。

だから、コロナがどうあれ、今年後期のイベントも、提案はします。
「参加しないやつは老いるぞ!!」って話じゃなくて、
「俺が」「立ち止まっては」「ダメだ」ということです。
やれなくなるのはやらない人の勝手です。しかし、提案する側が提案もせず、ステージも用意されないまま
やりたいのにやれなくて、やれなくなるのは忍びない。
だから、この先どんなにしょっぱくなろうとも、こちらが提案することをやめてはいけないと思った、
今回の前期〆稽古でした。
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