雑記などのコラムです。
2月雑記(落ち着けコロナ)
今、猫も杓子もコロナウィルスの話で持ちきりですね。
売店からはマスクが消え、イベントは軒並み中止となり、学校の春休みを繰り上げて、世間の空気は上を下への大騒ぎ。
厚木道場も、海老名市が三月前半の体育館閉鎖を決めたし、他の場所もどうなるか分からないところです。
おまけに2004年から伝統的に参加させていただいていた3月の岐阜大会も、中止が言い渡されました。
いやもうほんと、3.11以来の厳戒態勢。店頭からまた、納豆が消える日も近いのでしょうか。

しかしどうも騒ぎを見ていると、3,11で国民はなにを学んだんだろうと思ってしまいます。
たしかに有用な対処方法がない、感染力が強い、死ぬ可能性が万分の一存在するとなれば、
脅威に感じる部分もあるのかもしれませんが、インフルエンザなんて毎年流行しているし、
もっと言えば、普通の流行り風邪も、あらゆる点において条件は同じだったりしませんか?
「風邪を治す薬は無い」と言われますが、実際に医者が出してくれる薬は症状を緩和するのみで、
風邪の根幹を断つのはあくまで患者の体力なんだそうです。

致死率にしたってエボラ出血熱レベルでやばかったら、今くらい混乱してもしかたないと思うのですが、
症状的にも致死率でも、いたって普通の(と言ったら言いすぎですけど)インフルエンザみたいなものであるなら、
冷静にケアすべきをケアすればいいのだと思うんですが違うのかな・・・。
行政対応とかはいいと思うんですよ。私が言ってるのはその情報に過敏に反応しすぎて
自分ちだけ生活品を買い占めたりとか、咳してる人を過度に嫌がったりとか、
自分のことばかり考えてしまう部分。
インフルの時はインフルの人が気をつけて、インフルでない人が予防をして、いつものように生活しているのに、
世界的な大騒ぎにつられて、過剰に反応しすぎなのが現在なのではないかと思うのですが、どうでしょうか。

そういう動きがさらに不安が助長し、店から納豆がなくなるまでに至るわけで、
国民がいますべきことは物品の買占めではなく、「実は恐れるほど恐れる事態ではない」という事実を
冷静に受け止めて、粛々と生きていくことじゃないでしょうか。


組手でも同じことがある。
格闘技というのはゲームみたいに、実力が100あれば、100の力をいつでも出せるものではないです。
相手を過大評価すれば技は萎縮して、普段の実力を発揮することができないことは往々にしてあります。
逆に過小評価すると緩んだ緊張感が行動を軽率にし、思わぬしっぺ返しを食うことになります。
つまり、実力が100でもその100の力をフルに発揮するには、自分と相手の本質をしっかり見極める能力が
不可欠となるわけですが、現在の日本の状態は、世界的に有名になってしまった相手を過大評価しすぎて、
ヨッチャギ一つ出すのもおっかなびっくりになっている気がします。

人間の強さって、そうやってどんな時にも平常心を保ち、その中で自分の100の実力をどう生かしていけるかを
考えられるような能力なのかなと思うし、それがどのような窮地でもできる人ほど、"強い"ってことなんだと
思うんですよ。
で、その平常心を保つために上げられた項目が、テコンドーの五大精神である

礼儀、廉恥、忍耐、克己、百折不屈

なんじゃないかなと思うわけです。

その精神を得るために鍛錬を重ねて行くのが武道。
というわけで、3,11を経て、今回の混乱がその経験が生かされてるのか怪しい様子を見ながら、今日のオチは、
こんなもの↓でいかがでしょうか

日本人はみんな、一回テコンドーやった方がよくね!?(笑)

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