雑記などのコラムです。
アツテコ20年史(第14回:道のない・・・)
結局、僕が主導して組織を超えた日本のテコンドー家を一堂に集め、試合をおこなうという、その目標は迷宮入りし、どう近づいたら近づけるのか、まったくわからない状態となった。
自分一人で理想を追うしかない。やることは結局今までと同じなんだけど、力をつけたところで他の指導者たちと僕の情熱の強さはつりあうまいと思うと暗澹たる気持ちだった。
そんなことを言ったら「なにを偉そうに」と怒られそうだが、そう怒る人がいるなら是非、「じゃあ僕よりキラキラした目をしながらテコンドーの未来を語ってくれますか?」と尋ねたい。
僕はテコンドーを盛り上げるための案にならどのような協力もする。そのビジョンも情熱もなく、ただ人数確保という理由だけで僕と厚木道場がどこかの傘下に入ったとしてもきっと何も見えてきやしないし、そう遠くないうちに僕の情熱がその組織内で煙たいものになるのは目に見えている。ナマイキかもしれないけど、生き残るために妥協をするのなら、そもそも僕は自分の師匠の下を離れてはいなかっただろう。
いつか、組織組織組織ではない、本当に一般道場生までのことを考えたテコンドー家のための、真摯な協力体制はできないものか。いまだマイナーから抜け出せない日本のITFテコンドーを皆で盛り上げていこうという理想へと向かっていはいかないだろうか。
いらないのか?今の個別の小さな大会で、自分のところから優勝者が出れば満足か。
いろんな人に話を聞く中で、「そんな理想は誰も求めてないんじゃないの?」と言われたことがあって、最近僕はわからなくなってしまった。

脱線しまくったが、とにかく他組織の協力は仰げそうにない。
じゃあ今の厚木道場で僕にできることは何かと考える。一つ、僕には提案があった。
テコンドーのよさはその華麗さだ。回し蹴り一つとっても、他の格闘技に比べて、腰の入り方とか脚の伸び方とか、とても美しいラインを描く。
少し前に言ったけど、テコンドーは最強を目指すには少し遠回りの格闘技だから、組手は組手で一分野を築きつつ、これを生かしてテコンドーの技術を生かして飯を食っていける人を作れたらあるいは普及の一端を担うのではないかと考えた。
実は僕はほんの少しだけだけど、殺陣ができる。殺陣というのは、まぁつまり時代劇なんかのチャンバラのシーンで、「ここで避ける、ここで斬られる」前提の下、華麗に物語を演出するものだ。
師匠の元を離れてから、どうやってテコンドーと向き合っていくか、テコンドーをしながら飯を食っていくかと考える課程で、まぁ、ボクシングやら古武道やら、剣道やら何やらといろいろやったわけだけど、そのいろいろな経緯の中で、あるご高名な先生に付いて殺陣を教わったこともあったというわけだ。
これをテコンドーに当てはめて、華麗な殺陣を競う種目をテコンドー内で作ってはどうかと思った。

もともとテコンドーには約束組手というものはあるのだけど、あくまで型であり、人に見せて間が持つものではない。
まるで真剣勝負をしているかのように手をつけて間を作り、にらみを利かせて勝負をつける……詳しいルールは置いておいて、そういうことをすると、どのような格闘技よりもすばらしいものがみせられるのではないか、と考えた。
テコンドーには試合となるとなかなか出すことの出来ない大技も多い。決まりごとであれば、そういうものもふんだんに取り入れることができるし、それら大技を練習するきっかけにもなる。
手順さえ覚えれば組手よりもリスクは格段に低いから、例えば大人と少年がペアを組むことも可能だ。
危険がない、かっこいい。老若男女楽しめる・・・であれば、テコンドーらしさを残したまま今の世にうって出られるかもしれない。
当時はすでにユーチューブ全盛だったから、これのレベルを上げて、本気でバンバン殴り、蹴り合っている(ようにみえる)動画を数多く配信することで世間の注目を浴びるのでは、という展開も考えたし、そういう技術集団が育ってくれば、ゆくゆくはどこかメディアでの仕事も、選手の誰かに舞いこんでくるのではないかとすら考えた。
今もかは知らないけど、「うまくなれば有名アーティストのバックダンサーになれますよ」的な売り込み文句でのダンス教室がご盛況だったから、もし、一組でもそれで仕事が得られるのであれば、ひょっとすればテコンドーの躍進に繋がるかもしれない。
・・・資本がなくても、規模が小さくても始められる画期的野望(笑)だったと思う。

この野望は実際、「ではそういう練習を始めてみますか」という段階まで行き着いたが、当時、厚木道場の勢いは前も言った通り、"上死点"を越えて、下降曲線を描き始めていた。
そういう思想を打ち上げたら最前線で戦えるであろう道場生たちの多くの出席率ががくんと減り始めていたこと。「これは技術がある程度あってこそ楽しめるものだ」という理由で、出席率のいい初心者たちにウケが悪かったこと。参加人数が安定しなくなったことなどから、結局うやむやなままとなっている。

いつしか、厚木道場は道をなくした。
いや、もともと道なき道を進んでいる厚木道場だったけど、何が違うかと言えば、この船の舵を握っている僕が進むべき道を失っているというべきか。
才能ある人に、「もっと練習しろ」と言えない。
如何に世界クラスのキャパを持っていても彼の行く先には世界どころか全日本すら与えてやれない。僕は彼らに目標をあげることができない。
若い人に「一緒にテコンドー普及のためにがんばらないか?」と言えない。
これほど未来の見えない世界に誘うような責任が負えない。そんなだから跡継ぎが育つはずもない。
そういうことは考えず、道場生たちにどんどん役職を与えて一大勢力を築いている方もいる。僕はそういう意味で、組織を強引に大きくしていく力もなかったというわけだ。

厚木道場のとるべき道がない。
・・・そうはいいながら、うちは今も硬派な練習を続けてはいる。皆は意味も分からずキツいけど、それさえなくしてしまってはもはや田川が道場を開いている意味を感じないからだ。
余談だけど、厚木道場の練習の密度とクォリティの高さを知り、感銘を受ける人がいる。
それは皮肉にも、「厚木道場を辞めて、それでも何か身体を動かす趣味を持とうと、他の習い事を始めた人たち」だ。
もちろんその全員がそう思っていることもないのだろうが、そういう人たちがうちからいなくなって数年し、ぽっと話す機会があったりすると、彼らがかなりの確率で口にするのは、
「厚木道場を辞めてから、厚木道場のすごさがわかりました」
という言葉。
「厚木道場での練習を考えると、今の道場はどんな練習でもまったく怖くない」だとか、「今の稽古の時間あたりの内容が薄くて無駄に思えてしまう」だとか、・・・あんまり言い過ぎると自画自賛も見苦しくなるのでその辺にするけど、とにかく、彼らは厚木道場の環境を失って、うちで行っていたことがニセモノでないことを知ったことは間違いない。

今在籍する道場生たちも、ひょっとしたら「あれ?何で俺の趣味、こんなにきついんだ?」という夢から覚めた人から消えていくのかもしれない。しかしそれでも僕はそういう人たちがいつか厚木道場を振り返ったとき、「時間を無駄にしたのではなかった」と思える練習をし続けたい。
目的はなくても、世界一の指導を目指して、そこに妥協をせず、今も来てくれる皆を出迎えたい。厚木道場の理想はあくまで、上を見続けてくれる人のためにあるのだ。それが伝わる熱意を、僕は出し続けたい。

せめてそれが、道を失った船長がすべき、船員への礼儀だろう。

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