雑記などのコラムです。
アツテコ20年史(第12回:理想を追って)
ITFの組織は三つも四つも分かれてしまったが、僕はまだITFが一つだった時に、一応は末端幹部だったし、本部道場にも週一でお邪魔している期間もあったため、それぞれの組織に親しい指導者たちがいる。
厚木道場がいつか大きくなった時、彼らに話してみようと思ったことがある。
ずっと読んできてくれた人たちは分かってると思うけど、すべてのITFテコンドーが集まって日本一を決める大会を開催できるようにして、それを皆で盛り上げていこう、という内容だ。
団体が分裂してしまっているのはもうしかたない。どんなに流派が分かれても同じテコンドー同士、一年で一度くらい集まって、それぞれの普及に貢献してもいいんじゃないかと。

僕はしかし、派閥に属し、利害のある立場の人間はそれらの主張はしづらいと思っている。
A,B,Cの組織があって、例えばAの組織の人がそれを言い出せば、どうしてもA組織主導となる。
自分たちの利益のために言ってるんじゃないか、となれば、とうぜんB,Cは面白くないわけだ。

だから、何の利害もない中立地帯にいる僕が旗を振り、派閥を超えた大会を開催する。
それが充分に魅力的であり、その大会に入賞することが国内においてのステータスとなって行けば、日本で一番技術のあるテコンドー家が誰かを決める、テコンドーという一つの格闘技において、当たり前といえば当たり前な理想を追えるのではないかと・・・思ったわけだ。

僕にとってのアツテコカップはいつしか大会として盛り上がる工夫を考えるものとなっていったし、それがテコンドーという、未だにマイナーで勘違いされている部分の多い格闘技の魅力を一般の人に伝えることのできる唯一の方法だと、感じるだけなら今でも感じている。
だって、どうして昔のK-1がただの空手にとどまらず、世界中の格闘技を集めてあのような熱狂を呼んだかといえば、もちろんテレビ局のバックボーンを据えた巨大な資本が動いていたことも間違いないけど、その結果、分かりやすいヒーロー像を作り出してみなの興味をそそったシステム構築があったからじゃないか。
kのリングに上がることが一種のステータスにもなっていたし、あれをみて憧れた若者たちがいたのも間違いない。
であれば、テコンドーもそういうステージを作るべきだ。
ただしK-1と同じ売り方ではいけない。僕は思っているのだが、テコンドーは最強を求めるには、少し矛盾している格闘技だと思っている。

単純に相手を倒すなら、実はそんなに多彩な技は必要ない。
"倒す"ということは、それはそれで至難の業なんだけど、でもどちらかといえば地味な技術を積み重ねたほうが、隙も少ないし確実な強さが得られる、というのは、テコンドー協会を抜けてからいろいろな格闘技に触れた僕の思うところだ。
翻ってテコンドーはどうか。回し蹴りでいいところを、わざわざ飛んで後ろに回し蹴ったりする。正直、テコンドーの技術の多くは、相手を倒すのに、ベターな要素はあってもマストな要素は少ないのだ。
それを魅力として伝えているのだから、テコンドーは、もとより最強を求めている格闘技ではないのだというのが、僕の今のところの結論だし、それでいいんだと思う。
最強を目指すのはK-1に任せればいい。ジャンルが違うのだ。
そもそも相手よりも腕っ節が強いことが競技の最低条件なら、格闘技以外のすべてのスポーツに魅力はないというようなものだ。違うだろう?
テコンドーはテコンドーの魅力を伝えればいい。それを伝えられるシステムの構築を、全国に散らばっているすべてのテコンドー家が考えて、皆で協力し合い、普及の芽としていくべきではないだろうか。

以上のことを僕自身は正論だと思っているし、これがなぜ実現しないのかを、全国に散らばる指導者たちの個人的感情を取っ払って、公の理由で否定できる人がいるのなら是非聞いてみたい。
オトナの理由。
あいつは気に入らないから一緒にできないとか、協会が違うから一緒にできない(こんなハナシはトップがOK出せばいいだけの話だ)とか、利益はどこが得るんだとか、プライドが許さないとか、そんなのは何ほどの理由でもない。指導者層のわがままで選手層の可能性をスポイルするのは本当にやめてほしい。

わかっている。スポイルしているのは僕自身もそうだ。しかしだからこそ、中立地帯の僕ができることがあるだろうと思ったわけだ。
例えば幕末、犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩を繋ぎとめたのは一つの小さな浪人結社だった海援隊であったように、僕のような立場の人間が、さっきの理想を実現するのには必要であると思っている。
それによってまったく軋轢がない・・・とは言わないにせよ、結局マイナーなままのITFテコンドーを何とかしたい気持ちがあるのなら、きっと僕が彼らを繋ぐ折衷案を考えようと思っていたし、
大会が実現した折には、K-1や、トーナメント形式の従来の全日本とは別の、選手が興奮できるイベントをきっと実現させてやろうと思っていた。ちょっと大げさかもしれないけど、そういう役回りがきたら、僕は命を賭けて実現してやろうとさえ思っていた。負け惜しみじゃないけど、僕が一つのことにどれほど情熱を燃やす人間かは、僕を知っていれば知っているはずだ。

僕が思い浮かべたのはつまり、どこの協会にも直接支配されない日本唯一のテコンドーイベントの運営を、厚木道場が担うことだった。
これを実現させるに当たって、僕は力がほしかった。前に言った「二十年で百人計画」じゃないけど、道場の規模や選手の質にある程度の説得力がなければ、理想があってもそれぞれのお偉方を惹きつけることはできないだろうと思っていた。
だから、冒頭にあったとおり、「厚木道場が大きくなったら・・・」が、僕にとっての開戦日時だった。前回"快進撃"と書いたように、人数も増え、イベントの打ち方をアツテコカップという実験場で試すことができ始め、選手の質も増していく中で、僕の目にはその巨大な理想の、尻尾のようなものがおぼろげに見え始めていた。
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