雑記などのコラムです。
アツテコ20年史(第11回:厚木の快進撃)

前々前回に言ったアツテコ革命以降、厚木道場の快進撃が始まった。
2007年には海老名市にも練習場が増え、そこでも強力なメンバーが何人も加わって順風満帆。
招待して頂いた対外試合では多くの参加者が入賞し、驚いたことに参加した階級ほぼすべてで、うちが優勝した大会もある。
大会のレベルが低かったわけでは決してなく、優勝した道場生の顔ぶれは、分裂する前の全日本大会でもある程度の成績を残せるんじゃないかと思える潜在能力を備えていた。彼らは厚木道場にいたばっかりにチャンスに巡り合う事はなかったけれども、世が世ならテコンドー界に名を馳せる選手になっていたかもしれない。
そういう実力を持ったメンバーが、同じ階級に固まらず、全階級に分散していた幸運も、快進撃の要因の一つだった。

ついでにこの時期、道場生の結婚が重なった。
まぁ重なったといっても年に一回ペースなんだけども、それでも今までそういう話がなかったことを考えればだいぶ重なった。
それらの参加を通じて横のつながりがますます親密となり、道場として強くて楽しく、明るく仲がいいみたいな?・・・あらまほしい形が出来上がっていった気がする。
そのおかげなのかは分からないけれど、今の厚木道場の土台を固めてくれている中に、この頃入会した人たちが多い。

あと、僕はとても幸運なことだと思っているんだけど、厚木道場は急伸長したのに、今まで、派閥のようなものができてそれぞれにもめたり、道場生を利用して悪いことしてやろう・・・みたいなことを考えたり、手に負えない嫌なヤツが問題になったりということがない。
これは人間の品位に関わることなので、そういう危険分子(?)が入会してくることを前もって知ることはできないんだと思うけど、そういうことに頭を抱えたことがない状況というのは、やはり幸運なのだと思う。
まぁ個人間での多少の不愉快など、僕のおよび知らないところで負の感情を抱えた人もきっといただろうけど、でもそれがおおっぴらな喧嘩になってムードが劣悪なままの練習が続いたり、訴えるがどうの・・・みたいな話に発展していないわけで、全国的に見てもとても平和な道場で、二十年間を過ごしてきた。
繰り返すけど、それはやはり幸運なのだ。

そして2008年。
勢いに乗じた厚木道場は10周年を迎えることになる。
ここで、この"勢いに乗った"道場生たちがとんでもないことをしてくれた。
僕は「あー10年か」としか思っていなかった。確かに10年だけど、10年在籍した人はいないから、(ちなみに会員番号1番の吉田さんは名誉会員として今も在籍していることにはなっているが、本人も忘れていることだろう)、感慨深いのは多分僕だけ。・・・なので他の周年(7周年とか8周年とか)みたいに、ただ流そうと思っていた。
ところが、にわかに「10周年記念パーティを行う」という話が浮上したのだ。僕は一言も言ってない。パーティの式次第に、僕は一切関与していない。
・・・道場生たちが、自主的に、パーティを計画してくれたのである。

そのパーティには現役道場生の九割以上が参加し、OB,OGまでもが出席してくれて、テコンドー界の重鎮様方もいらっしゃったという大惨事(←違う)。
それら有志が開いてくれたパーティはこれでもかというほどのインパクトに彩られ、また、個性的な出し物が連続して、僕が驚く仕掛けを頭から尻尾までちりばめた、とんでもないパーティだった。
僕はあの時の、感無量で吐き出した言葉を、今も覚えている。
「皆さんが協調性がないことを私は知っています。だから、協調性のない皆さんが、これほどまでに協力し合って今日、このようなパーティを開いてくれたことのすごさに、感動しています」
・・・一言といいつつ、ここから五分くらいずっとしゃべった気がする。それくらい感慨深いパーティを、彼らは用意してくれたのだ。
このパーティのすごさを、僕は今、全然表現できていない。こんな個性的で、仕掛けばかりの、ものすごいパーティを、どれだけのチームが開けることか。
本当にありがたい。ありがたいが、実はこの「十周年について」を、この二十年史に書くかどうかを、結構迷った。
だって、これを書いてしまったら二十周年を迎えるメンバーにはプレッシャーになると思うのだ。僕には二十周年パーティを開いてほしいと言いたいわけでは毛頭なく、そもそもあのパーティを超えるパーティを開くのは非常に困難だと思うから。
けどこんなことを書き連ねれば「動かにゃしゃーねーか」となるメンバーの顔が数名浮かんできて申し訳なくなるため、ここにあの日の感激を振り返ることを躊躇してしまった。
本当に無理しなくていい。

そんなわけで厚木の快進撃はあれからしばらく続いたわけだけど、今と道場の雰囲気が違ったかといえば、実はあまり変わらない。今も昔も、練習生はみなそれぞれに個性が強く、そして楽しい。アツテコ二十年史を振り返ればたまに極濃な方もいらっしゃった(る?)が、みなそれぞれに濃いのに、自分だけはまともだと思っている辺りも、ずっとかわらない。
いろんな人がいる、そして、いた。
強い人、強いのに弱い人。うまい人。うまくても活かせない人。ヘタでもまじめな人。面白い人。意志の強い人弱い人。やればうまくなるのにやらない人。義理堅い人、熱しやすくさめやすい人。練習を忠実にこなそうとして融通の利かない人。練習を忠実にこなすつもりはなくとりあえずアドバイスは聞かない人(笑)。
・・・面白い。
僕はよく、歴代の道場生をすべて頭の中でひっくるめて、「彼と彼が戦ったら面白そうだ」とか、「彼がいた時に彼がいたら気心が知れただろう」とか考える。もう辞めた人たちも含めて、今まで出会ったすべての道場生でテコンドーができたらさぞかし面白いだろう、と思うのだ。

・・・それができないことをずいぶん残念に思っていた時期もあったけど、思えば日本の歴史だってそうだなと、最近は思い直している。
そうだろう?いくら「同じ時代にいたらさぞ面白かろう」と思っても、坂本竜馬と織田信長が手を繋いで、どこかで行動を共にすることは絶対にない。
それが歴史なのだ。どれほど人を惜しんでも、情熱は一度失うと取り戻すことはできない。
なんか冷めているようだけど、この二十年間人を見て、思い知らされたことだ。

だから・・・と言ってはなんだけど、テコンドーに限らず、もし一つのことを目指したいと思ったら、たとえ気持ちが冷めてきて情熱がぬるま湯のようになっても、決して水のように冷たくしてはいけない。嫌でも苦しくても、その情熱に火をくべ続けること。
とても、大事なことだと思う。
たとえぬるま湯でも、温度さえあればやり直しがきくのだ。しかし温度を失った情熱は決して元には戻らない。(戻ったようにみえても長続きしない)

冷めてしまったら別のことに目を向ければいい。・・・そう思う人も多いだろう。
でも、どの世界に身を投じても、必ず「温まるものはいずれ冷める」のだ。どの世界に身を投じても、いずれ自分の情熱のぬるま湯に直面することになる。
すべてにおいて冷めてもいいやって思う人生も、ありだろう。
何かに燃え続けなければならないなんてことは絶対にないんだけど、僕にとっては、水のような人間は面白くない。
いつまでもいつまでもメラメラと燃え盛かれってわけでなくても、いつまでもどこか温かいものを持っている・・・きっと、人間の魅力って、そういうところにもあると、僕は思うのだ。
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