雑記などのコラムです。
アツテコ20年史(第10回:アツテコカップの果てに)

『試合前がずっと楽しみで、試合当日が楽しくて、試合が終わっても楽しめる』
『選手と、観客と、スタッフがみな楽しめる』

これが今も、アツテコカップの課題だ。
それを達成するにはどうすればいいか。実のところ、それは非常に難しいということに、イベントを打つようになってから思い知らされた。
その苦悩はとりあえず置いておくとして、そのために、

数ヶ月前に選手に相手を告知する。
当日は演出で盛り上げつつ、選手に対して負担のないタイムスケジュールを組む。
終わればその日の模様をDVD化し配布する……ということを骨子にイベントを企画することとなった。
こんなの、プロ興行なら当たり前のことなのかもしれない。
が、テコンドーはアマチュアだ。これを如何に安価……つまり工夫だけで達成できるかということが課題となる。

さまざまなことを試してみた。
予告ムービーを作って配信してみたり、試合前インタビューで選手たちを煽ってみたり、試合会場にモニターを持ち込んでみたり、オープニングに太鼓を叩いてもらったり、細部まで楽しめるような冊子を作ってみたり……。
選手を主役に……という気持ちを込めて試合前に三分の時間を使ってもらって、試割のパフォーマンスをしてもらうということをしてみたり、試合の合間に選手のいいところや見所を長々語ってみたり……、ああ、栄養ドリンクを配って無駄に乾杯してみたりということもあった。
喪服で登場して開会の言葉を並べた時もあった。とんでもないことに、妹が当時勤めていたK−1の関連会社の助力を頂いて、プロ並みのバックアップ体制で臨んだ時もあった。

観客にも全試合を残さず見てもらうために、選手の評価シートというのをわたして、票を入れてもらったり、トトくじみたいに全試合の勝利予測をしてもらい、賞金を出すようなこともやってみた。
選手たちも、自分の試合以外も楽しめるよう、"チーム戦"という方式をとり、皆で勝たないと勝利に結びつかないシステムになっていたり、試合中に選手の選んだ音楽を流してみたり……とにかく、格闘技イベントらしからぬことをも含めて、さまざまなことを行った。見栄を張るわけじゃなく、ここに書かなかったこともたくさんある。

それを行い昨12月の大会で12回を数えた。選手、観客、スタッフが何をするとどのような反応を示すのか、僕の頭に叩き込まれている。たぶんその中には"こんなことは他の格闘技イベントでは行われたことがない"ことも含まれるから、大げさに言えば日本で僕しか知らない知識もあるかもしれない。
本当は、それをITFテコンドーが盛り上がるために役立てたかったのだけど、今のところは無理だろう。

余談だけど、格闘技のイベントというのは、観客を満足させるという点において、イベントとしては難しい部類に入ると思う。
例えば音楽ライブなんかだと、観客はそのアーティストを見に来るわけだから、初めから最後まで見たいパフォーマンスを見られるわけだけど、格闘技というのは、一試合終われば人が代わる。実力も違えば熱も違う。アマチュアの大会ともなれば自分の知っている選手の試合の時だけ応援して、終われば帰るということを防ぎきれない。
加えて、リズムが単調にならざるを得ない。演劇とか映画とかはシナリオでリズムをつけることができるし、音楽ライブなんかも『歌、歌、歌、MC、歌、MC』など、バリエーションを加えることができる。しかし、格闘技というのは基本的に『試合、休憩、試合、休憩』という流れは崩せない。もちろん複数コートで行えばそうではなくなるけど、観客に見せることを目的とするならば論外だ。

さらに、観客は素人になればなるほど、求めるものはドラマ性なんじゃないかと思う。映画だって、興奮や感動を求めて映画館に足を運ぶように、格闘技も、ドキドキワクワクする何かを求めてやってくるわけだ。
格闘技のドキドキって何だろう。もちろん野球の甲子園のように、一生懸命戦っている姿に感銘を受けることもあるだろう。しかしわざわざ格闘技を選んで見たがる人(特に格闘気味経験者)は、分かりやすい決着・・・単刀直入に言えばKOを求めてやってくるのではないだろうか。

そこに、格闘技というものを人に見せるということへの矛盾がある。
実は、打撃のみの格闘技には、格闘漫画のような『高等技術の応酬の結果、KOで決着』なんていうのはほとんどない。KOというのは、基本的にはレベルに差があるから起こる現象なのだ。レベルが上がればあがるほど、試合自体は詰め将棋のようになり、非常に地味になる。つまり参加選手たちの質が上がれば上がるだけ、試合の結果は分かりづらくなるのだ。そうそうドラマなんてできっこないのである。
とすれば、本来、格闘技というのは、地味な展開を切々と解説できるマニア層しか楽しめないものなのかもしれない。

僕は思ってるのだけど、『高等技術の応酬の末、ドラマティックな勝敗を・・・』これを極限に求めると、実はプロレスになるんじゃないか。
大技が気持ちよく当たってくれる。大どんでん返しが用意されていることもある。・・・プロレスの実態をあまり知らない僕がどうこう語れることではないけれど、見せる格闘技の極がプロレスであるとすれば、ガチの格闘技で観客を集め続けることの難しさは言うまでもないのかもしれない。
ついでに言えば、K−1もプロボクシングも、選手の質で観客を集めていたとは断言できないと思う。いや、レベルが高いのはもちろんなんだけれども、客が求めたのはそれだけじゃない。格闘家で・・・他の職業もそうだろうけど、・・・注目されるには実力とは別の要素も必要だ。

そんなものを客のために戦うわけじゃないアマチュア選手に求められるはずもなく、
『選手と、観客と、スタッフがみな楽しめる』
というのには限界がある。アツテコカップというのはすべてが厚木テコンドー道場生を集めた内々の大会だから、運営さえしっかりしてさえいれば、ある程度は達成できている気がするのだけれど、これがすべて知らない人たちで構成される格闘技イベントとなると、条件を満たすのは難しくなる。

でも僕はやってみたいことがある。格闘技イベント自体を一つのストーリー化、もしくは音楽ライブのようにしてしまうのだ。見る人たちがずっと息もつけない……ぶつ切りとなる本戦と本戦の谷間をなくしてしまうような流れを作って、客が興奮冷めやらぬままにイベントを終える。
何を馬鹿なことを・・・と誰かは思うかもしれないけど、『映画ではそれができる、音楽ライブではそれができる、格闘技はできません』なら、わざわざ同じ時間を割いて格闘技なんかを楽しみにはこない。
格闘技がイベントをやって生き残っていくためには、裾野から金を取る親父ファイトやナイスミドルのようなタイプの興行を打つか、新しいイベントの形を作っていくしかないように思う。選手個人ののカリスマに頼りきった運営は早晩破綻する。

もちろん、だから僕が構想していることを行えば必ず格闘技は右肩方向へ上がっていく・・・とは断言できない。だけど、『だからやらない』のではなく、それを目指して提案し続けていくことが大事なのではないだろうか。
今はまだ、やりたくてもやれないこともたくさんある。いつかそれが形になった頃、テコンドーが皆の中でもっと楽しい存在になっているといいなと、いつも思っている。
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