雑記などのコラムです。
アツテコ20年史(第4回:分裂騒動)
日本のITFテコンドーは今やいくつに分かれているか把握できないほどに細分化している。
そう言い始めれば空手もそうだしキックとかもバラバラだから、
テコンドーだけが「細分化してるからイケナイ」ということは言えないのだが、
初めの分裂から十五年がたち、結果テコンドー界が前進しているかといえば、
ご覧の通りだ。

停滞したのは分裂のせいだけではないのだろう。
大口のスポンサーが撤退したこともそうだろうし、K1を初めとする他流試合で
テコンドーが大きく負け越しているのもあるだろうし、そもそも格闘技ブームが
去っているのもあるとは思う。しかし、一つの要因にテコンドーの指導者層が
それぞれに強力な自己主張を続けた結果が今のこの状態に
繋がっていることも間違いない。
そして僕がこう言って怒り出す指導者と、「しかたないんだよ」とため息をつき
現状で満足してしまう指導者がいるうちは、今が改善されることはないだろう。
テコンドーが良い方向でメディアに取り上げられたり、すごい人気のテコンドー漫画や
ドラマなどができたら、あるいはテコンドーは盛り返すかもしれない。
が、上層部の考え方が同じなら、ただ増長してそれを食いつぶすだけだと思う。
なににせよ、今の状態では外的要因に頼るしかテコンドーの未来はない。

いくつ分裂を繰り返したかよくわからなくなっているけど、
僕が直撃したのはその中の一番初めの分裂だった。

そもそも当時のITFテコンドーというのは二つの派閥があった。
仮にそれを『本家』『分家』とする。
僕は分家の長の下にいた。前に登場した、厚木道場の開設に尽力してくれた師匠のことだ。
彼がまず分裂を望んだことが初めだった。当時は僕も末端といえど幹部の一人だったから
彼からいろいろな理由を聞かされた。彼には彼の痛烈な思いがあったわけだが、
そのこと自体には本稿は触れない。いろいろな立場の方、
それぞれに名誉があるだろうし、これは厚木道場の二十年史なので必要ない。

しかし僕は僕なりの考えがあってそれに反対した。
僕は当時大学部の指導者的立場にあり、その部活には、高校のころは
本家でテコンドーをやっていたものも混ざっていた。
テコンドーを割ってしまったら彼らはどうなる?
そして、これより先、大学に入ってきてテコンドーをやりたいという
『本家』出身の人たちはどうすればいいのだ。
僕は大学の部活を「あなたはテコンドーでも別のテコンドーをやってるから、
やりたければその道着を捨ててこの道着を着なさい」というような宗教じみた場所に
したくなかったし、それは今の厚木道場だってそうだ。
「うちの流派に同調するならITF出身でも受け入れる」などといっていたけど、
そうじゃない。僕が言いたかったのはもっともっと根元の部分だった。
そうやってテコンドー家を誰かの都合で色分けしてしまうところ自体が問題なのだ。

その頃もだし、今もだけど、日本におけるテコンドーという格闘技の規模は非常に小さい。
小さい団体がさらに細分化してお互いが交わりを絶ち、どうやって普及などできるのかと。
・・・僕のような末端幹部が考えるべきことではなかったのかもしれない。
僕がただの練習生であれば、このような考え方などそもそも持っていなかったかもしれない。
でも、「テコンドーで飯が食っていきたい」と決め、いろいろな体験をさせてもらって、
地位を得ていた僕としては、テコンドーの楽しさを、如何にテコンドーを知らない人に
伝えていくかということを真剣に考えていたから、その結果、師弟関係を逸脱して、
一人の指導者としての思想が芽生えていたのだと思う。
・・・この日は師と夜中までの大喧嘩になったのを覚えている。
師もよく付き合ってくれた。僕のことを大事に思っていてくれたからに他ならなかった。

厚木道場二十年史なんだから、この部分について、これ以上の詳細は必要ないか。
別に組織を離れた僕の正義を訴えたいわけじゃないし、
僕自身のことについて「タイヘンだったね」と同情されたいわけでもない。

一ついえること・・・僕がこのころから一貫していることは
「味方以外はみんな敵」の考えに同調はできないということだ。
これを言えば「そんなことは思ってない!!」と目くじらを立てる指導者層もいるだろうが、
結果そういうことになっている。それに気づいてないで怒ってるなら重傷だ。
テコンドーは、テコンドーとして繋がっていればいいのだ。
組織の誰と誰が仲が悪いとか、アイツは気に入らないからあの大会には
ウチの選手は出さないだとか、そういう考えがここまで日本テコンドーを小さくしてしまった。

これは、日本という文化の良いところが転じた悪さでもあると思う。
日本は、自分の組織に入ってきた道場生を家族のように受け入れる。
息子のようにかわいがり、仲間として親身に受け入れてくれる部分がある。
これはテコンドーに限らず、日本的な組織なら多かれ少なかれそうなんじゃないかと思う。
しかし、そういう仲間意識が強すぎるあまりに、組織の中の人間を
"息子"と勘違いするところに問題の端を発する。
長の意思決定は絶対だし、「自分が育ててやったのに」という気持ちが強いし、
他道場を行き来するのに非常に難解な手順が必要だ。
同じ色に染まっていることが当然で、色が混ざることを嫌う。
そして道場生本人の努力や意思がそういう上層部の意思決定に対して、
相対的(そして決定的)に弱い。
一般道場生がいくら何かを希望しても、長の鶴の一声で彼らの運命は決まる。

僕も日本人だから基本的にそういう義理と人情の世界は好きだし、
とある指導者は「そういう縦の秩序があってこそ武道の礼儀礼節を保つことができるのだ」
と明言されておられるから、この考え方自体をなくすことは日本ではできまい。
道場生を(彼らがどう思っているかは別として)家族のように思っているし、
仲間を大事にしたいと書いた通り、僕は厚木道場の仲間を大事にしたい。

しかし、ことITFテコンドーではこれが悪い作用しかしていない。
結局、仲が悪いのは上層部だけなのだ。
そして上層と一般道場生が一蓮托生だから、結局一般道場生がいくら望んでも
長が一つへそを曲げれば、その"へそ"を越えて切磋琢磨することができない。
同じテコンドーなのに。
もし、彼ら(上層部)すべてが一般道場生を"個人"として捉え、彼ら自身のの意思を挟まないで
道場生一人一人に自由な選択肢を与えてやることができれば、
今の日本ITFテコンドーが抱える問題はかなりの部分で解決するように思う。
すべてのテコンドー家を一堂に会して一番強いテコンドー家は誰かを決める大会だって
不可能ではないはずだ。
いずれにせよ日本的なやり方が仇になっている。それに気づいてくれない限り、
今の日本テコンドー界は自己再生はできない。
(だから僕は今、厚木道場生を家族と思っても、彼らを個人として捉えることを
絶対に忘れないようにしようと心がけている)

僕の考えは当時ここまで固まってはいなかったが、はじめの分裂は、そのはしりだった。
僕は分裂した師の主催する大会を一度だけ手伝って、テコンドーを辞めることにした。
当時は僕自身も"個人"という考え方がなかった。日本的な人情の中で、
師匠と関係が切れる以上、僕自身がテコンドーを続けることはできないと考えた。
もちろん二君に仕える気もない。テコンドーの師は僕にとって彼だけだ。
だから本家に移ることも論外だった。
といって、独自の流派を作るような実力もカリスマ性もキャパシティもない。
いや、それ以前にそんなことを望んでいたわけでもない。
すると、僕はテコンドーを続ける手段がなかったのだ。

そこでようやく厚木道場に話が戻ってくる。
僕は辞める。しかし道場には少なからず仲間がいた。
人数も増えていたし、彼らは皆、テコンドーを続けたかった。
その気持ちを無視して『辞めるから』と放り投げるわけにはいかないわけだが、
とはいえ本家に移るつもりも、独自の流派を作るつもりもなかった僕には道がない。

それとは別に、当時、分家の幹部たちは、僕はともかく道場は残し、
自分たちの手元に置いておきたい旨を打診してきていた。
指導者を送り込んでくるという。
僕のことはいらない。道場だけはほしいという、オトナの事情が見え隠れする提案には
さすがに呆れたけど、思えば、これに乗っかれば僕は円満に道場を抜けることができると
思った。(僕は当時、テコンドーを辞めようと思っていること自体は誰にも言ってないので、
師匠がそれを汲んで提案してくれたわけではない)

でも、
「そう言ってきたけど・・・」
と、とある道場生に相談した時の彼の顔を、僕はまだ覚えている。
彼はうんざりした顔をしていた。そして一言。
「田川さんに教わりたいんですよ・・・」
とつぶやいたのだ。
・・・僕は冷水を浴びせられたような気持ちになった。

もっと真剣に考えなければならない。
思い直した瞬間だったが、考えれば考えるほど、僕には何もなかった。
彼らが僕の元でテコンドーを行っても、僕は何も見せてあげられない。
帯もあげられない。試合もできない。全日本・世界大会優勝というような栄光も目指せない。
何もない、テコンドー愛好者の集まりでしかなくなってしまう。
僕自身、テコンドーが一つだったころは選手としての夢を持っていたし、
皆も当然、そういう山が見えてこそ、稽古に励めるものだと思っていた。
というか、これは今も野生である僕の道場において、変わらぬ葛藤だ。
厚木道場には、素質のある道場生が多々いる。
彼らは機会さえあれば日本でも有数の選手に名を連ねるだろう。
でも、僕はその夢を見せてあげることができない。もはや罪である。
本当に、その部分に関する罪の意識は大きい。

なにもない。
しかしその上で、頭を冷やされた僕は全道場生に向けてアンケートをとることにした。
すなわち

1、なにもないが、田川が教えるか
2、指導者に来てもらって、ブランドや大会のある場所でテコンドーを続けるか

・・・このアンケートの結果が、全会一致だった。
何もなくても、彼らはとりあえず僕を選んでくれたのである。

僕があの時、テコンドーを続けられたのは彼らのおかげだ。

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