雑記などのコラムです。
アツテコ20年史(第2回:価値観と仲間と組織)


厚木道場で始めと終わりの集合時、違和感を持つ人がいるかもしれないが、
僕は日によって中心から少しずれて立っている。
別に空間把握能力がおかしいからでも、ちょっといびつな形が好み、
という酔狂な理由でもなく、並んで立ってもらった時、できるだけ全員の顔が
見える位置に立とうと思っている結果だ。

人によっては意外に感じるらしいが、僕という人間はもともと、人付き合いがとても下手で、
小さい頃から通信簿の協調性はいつもマイナス評価だったし、
one for all all for one(一人はみんなのために、みんなは一人のために)が謳い文句の
ラグビーを13年続けても、それはまったく変わらなかった。
だけど、そんな僕が『アツテコを世界一に!』とか思った時、
なにを一番大切にすべきかという問いに、出した答えは『仲間』だった。

『世界一』と言われても、実際はなにを持って『世界一』か、というのがそもそも論。
たぶん、その『世界一』にはいくつもの種類があって、正解はないのだと思う。

僕はそこで、なにをするでもいいから、とにかくまずは、
仲間が仲間であることだ……と思った。
人は大事だ。あまりご大層なことはいえないけれど、
例えば個人競技のテコンドーだって、他に人がいなければ組手をすることもできない。
いっぱいいなければいつも同じ人としか組手ができない。
そうすると自分の弱点に気付きにくい。
つまり、例えば組手で世界一を目指すにしても、
人が大勢いるというのは大事なことだと思った。

余談で、比較的初期に立てた構想に、
『20年で100人計画』という野放図なものがあった。
20年後に、道場生を100人抱えよう。100人もいれば同じ価値観を持つ人が
必ず一人はいるはずだ。皆が満足できる練習場になるし、
100人の中で、2〜30人、常時戦える人がいれば、日本テコンドーにおける
厚木道場の存在は、さぞ大きいものだろう、と。
実際は、悠長なことをやってるうちに20年が来てしまいそうだ。
まったく目標に届かなかったし(過去形)、そもそもの努力がまったく足らなかったことも
実感してるから、単なる笑い話なんだけど。

とにかく、なにをやるでも人が大事だと思った。
ところがところが、この人付き合い下手が、仲間を作ることは容易ではない。
どうしたら厚木道場が好きになってくれるのか、
気軽に練習がこれる形を作っていけるのか。
来て楽しかったと思い、また来ようと思ってくれるのか……
付き合い下手だからかもしれないけど、あまり普通の人は考えなくても
やっていけそうなことを、この二十年、考え続けている。
冒頭の『皆の顔が見られるように、中心からズレて立つ』だったり、
『道場に来た人たちと、一日一度は必ず話す』だったり、
『道場生のどんな話も真剣に聞く』だったり、そういうことを、
意識してやらないとできない僕は、すごいぎこちない世間話や、
すごい意味不明なツッコミを武器(?)に、その日その日を勝負していた。
(勝負、という時点ですでにダメ(笑))


道場を始めてすぐに気づいたことがある。
価値観と、生活環境が、道場生によってまったく違うということだ。

「アタリマエじゃん」と思われるかもしれない。
が、僕がそれまでいた環境はそうではなかった。
僕は当時、体育会テコンドー部の主将もしていたが、
部活というところは同じ年代の、同じライフスタイルを持つ、
同じくらいの体力を持っている人たちの集まりだから、
同じ価値観で、同じ目標を目指して同じ方向へ目を向けることができたのだ。
おなじライフスタイルなのだから、部活の遅刻、無断欠席は許さなかったし、
秩序を守るため、同期(同じ学年)だっていうのに、遅刻をしたという理由で
何十分も説教したこともある。
・・・組織というものはそういうものだと思っていた。

しかし、年も、ライフスタイルも、立場も、体力も違うと、それでは立ち行かなかった。
いや、無理矢理、自分の色に染めることはできたのかもしれない。
実際、そうやって組織をまとめてる方はいっぱいいらっしゃる。
しかし、僕がアツテコに求めたのは仲間だったから、
まず理解すべきは自分とは違う価値観だと思った。
人を理解しようとしない人間に信頼感なんて生まれない。

その上で、組織を運営していくに当たっては、
すべてがすべてバラバラの価値観ではいけないということも知った。

厚木道場には、試合モードという制度がある。
試合に出ない人間は基本なにをどうしようが自由だが、
試合に出るとなれば基本週一以上練習に来て無遅刻無欠席、
やむを得ない場合は必ず連絡をする。その際の練習は通常練習に比べても
数段しんどい。どの試合に出てもいいが、それに耐えられた人だけが、
他の指導者が開催する試合に参加できる・・・というルールだ。

初めはこんなルールもなかった。すべて本人の常識に任せていたのだが、
過去の大会である道場生が当たり前のように遅刻して、
大会運営に支障をきたした上に、ようやく来たと思えばものすごく
情けない試合をして敗退したのだ。
いや、負けることは別に悪いことじゃない。しかし、大した準備も心構えもない
人間を大会に出すことが、これだけくだらない結果を呼ぶのだと思った時、
大会主催者にかけた迷惑が申し訳なくて仕方がなかった。

だから、対外試合だけは、僕のルールでこの道場は運営されている。
つまり現在、試合に出るたびにつらい思いをしている人たちは、
彼を恨むしかない(大笑)。
でも、彼がいい加減だったおかげで、もう少し、僕の運営方針が
固まったことも間違いなかった。


人の価値観を理解しようとし、かつ守るべき価値観を守る。
その結果、構築された僕の組織のあり方に、
『どうしても譲れないところ以外はすべて譲れ』・・・という考え方がある。

皆、それぞれに考え方も正義もある。しかし、それが単一的なものだとして
すべてを押し付けてしまうのは、先ほど言ったように、
人のことを知ろうともしない行為に等しい。
個人というものの個性を最大限尊重しながら、しかし、この線を越えては
武道の道場としては成り立たないという部分だけを押さえる。
僕がどこに一線を置いているかはともかく、それだけで、組織の秩序はできる。
少なくとも厚木道場は十分に秩序立って活動をしている。

この部分は日本のテコンドー組織が今までうまくいかなかった部分の
一つなんじゃないかとすら思う。
トップの方々は皆、譲れない部分が多すぎるのだ。
「そんなことはねえさ、最大限の譲歩の上で、許せない」という方もいらっしゃるだろう。
そういう方は厚木道場の雰囲気を見てほしい。

他の道場の所属生が厚木道場にくると、厚木道場生の奔放さに、
ある人は感激し、またある人は呆れる。
反応はまちまちだけど、皆一様にその奔放さに対して、
自分の道場と比べて違和感を持つようだ。
良いかどうかは別だ。ただ、一ついえることは、
「こうでなくてはいけない」という部分がどこの道場よりも少ない、
ということの結果であることは間違いない。
そんなうちには、弱い人間しかいないか?無礼な人間しかいないか?
うちを知っていれば、そんなことはゆめゆめ口にできないはずだ。

テコンドーは武道として、決まりごとが多い。
日本人というのは礼儀正しい民族だし、「義理と人情、武士道」と、
そういうものが美徳とされることが、この国の素晴らしいところだと思う。

が、それに縛られすぎて、譲れない部分だらけに凝り固まってしまいがちなのも
否めないところじゃないだろうか。トップの人間が『お殿様』になりやすい精神を
持っているところが、時に日本の閉鎖性を呼んでいるのではないかと思う。

押さえる最低限を押さえていれば道場の秩序、翻って、組織の秩序は保たれるのだ。
しかして、トップが譲れない部分を増やしすぎた結果が、今の日本テコンドー界ではないか。

すべてを自分の色に染めようとせず、価値観の違いを受け入れて、
ほぼすべてを相手に譲ってしまう。
日本のすべてのテコンドー組織が最低限のところまでそういうふうに主張を捨て去れれば、
今からでも日本中のテコンドー家を集めた大会を、必ず開催することができる。
・・・僕はそう思っている。

話が脱線してしまったが、とにかく人付き合いの下手な僕は、
今だにものすごく下手くそに、道場生と接している。いつもいつも、ヘタだなと思う。
だからこそ、どんな時も、自分の道場生たちに対しては、
とにかく一生懸命になろうと思っている。人が大事だから、人を大事にしたい。

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