雑記などのコラムです。
2月雑記(強く生きろ)
私は以前、別の場所でこのような書き込みをしたことがあります。

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一度、「あなたは弱い人を護る気はないのですか?」と聞かれたことがある。
自分の何かを強くしようとして格闘技をはじめる人も多く、
そういう人はいろんな弱さをもって入会して来る。
そういう"弱さ"を持つ人が、自分をサポートしきってくれないことによって芽生えた指摘だった。

人は、みんな弱いのだ。
だが自分の弱さに気付いた時に、二種類の人間がいる。

弱くても強く生きようとする人間
弱さを誇示する人間

後者、特に弱さをズルさに変える人間に対して、
確かにわたしという人間は厳しいかもしれない。

弱さを理由に逃げる局面も人ならあるだろう。しかし、それを常套手段にするあまり、
まるで弱いことが偉いかの如く振舞う人間は、どうかと思うのだ。

そんなことを言い出すとたまに聞かれる台詞。
「皆お前みたいに強い人間ばかりじゃない」

・・・それは違う。
強く生きたいと願い走っているだけで私も決して強くなどはない。
腕っ節に多少自信がついた程度で強い人間になれるなら苦労はない。

人は皆弱いのだ

自分だけは特別、と弱さを武器にし続けるずるさを、わたしは潔しとしない。

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私も大概かたよった人間なんで、ここでコラム書き続けてるといつか失言しそうですが(笑)、
皆さんはこのことについてどう思うでしょうか。

弱さを主張し内に篭る人たち側の側面をまったく理解しようとしない、
浅い見識だという意見も、一方で聞こえてきそうです。

ただ、己の弱さを知ったとき、他人が救ってくれることありきで生きていくことの危うさ・・・
それを当然のように甘んじることのできる日本という国の豊かさは、
確実に本来あるべき人間の姿に歪みを作っている気がしてなりません。

人に頼るな」という主張ではありません。人間の力はすごい。
厚木道場が今まで続いているのは厚木道場を支えてくれている人たちのおかげです。
決して自分の力の見で築き上げてきたものではありません。
そういうことじゃない。

この例をとってみれば、その助けを始めから頼みにして自分では何の努力もせず、
道場がうまくいかなければ、手伝ってくれない人が悪い・・・などというのはお門違いですよね?
わたしが主宰している道場ですから。

そういうことです。

上で主張したとおり、本当に強い人間などほとんどいないのだと思います。
プロボクサーの長谷川穂積さんはご存知でしょうか。
知らない人に10文字以内で説明すれば『めっちゃ強い人』です。

この方のコメントを聞いて驚いたことがあります。
うろ覚えなので、一言一句正しく再現することはできないのですが、
「毎回毎回、リングに上がるその瞬間まで、
『今日の試合がなんらかで中止にならないかな』と思っているんだ」
と、コメントしておられました。
あんな強い人ですらそうです。

以前K-1が隆盛を極めていた頃、ヘビー級の選手たちが
「あんなパンチは効かない。一瞬でぶち殺してやる」などと
コメントしていましたが、その選手たちが、みな、実際本当にそう思っていたでしょうか。

ヘビー級のフルスイングは本気で人が死にます。
そんな攻撃を巧みに扱うことを職業としている相手と戦うにあたって、
「あんなパンチが効かない」わけがないんです。
人間というのは攻撃力は高められても、耐久力には限界があります。
それをプロの格闘家が知らないわけはない。

もちろん、本当に痛みも恐怖もない特殊な方もいるのかもしれませんが、
みな、本当は、おっかない中、それでも自分を奮い立たせて
ああコメントしていたと考えるのが自然だと思います。

そうなれ、とも言ってません。
とりあえずここで言いたいのは、つまり腕っ節の強さと、人間の強さというのはイコールではないということ。
翻って言えば、『強いこと』と、『強く生きること』は違うことなのだと、思うのです。

弱くても、強く生きることはできる。人は負けないために、強く生きるべきなのです。
そのためになにが必要って、強く生きようと願うことではないでしょうか。
それに必要なものはなにかと言えば、折れない力、例え折れても進み続ける力、
自分というものをしっかり持つこと・・・ではないかと、思うのです。

わたしが今回、これを書いている背景には、とある子供のイジメがあります。
実際、いろんな意味で精神の弱い子供でして、その子見てるとちょっと納得してしまう部分もあったりします。

イジメなんて、いじめる方が悪いんです。
でも、だからとてそんな理屈が通るほど子供の世界というのは成熟してはおらず、
弱肉強食を素直に体現しているのが子供の世界であるわけです。

しかし、親と話してみれば、すべて人のせいで、世間の不条理を嘆くのみ。
彼の根本的なところを強くしてやろうとはしていない。
不登校でも何でもいいんですけども、あのままでは10年たったって
恐らく根本的なところは解決しないままでしょう。

もちろん、イジメってヤツは多岐にわたった原因がありますから、
一つを解決すればすべて解決できるわけではないのでしょうが、
あらゆる可能性から逃げて、解決の糸口を他人の善意にのみ求めているようでは、
夜明けは遠いだろうなと思っていまうわけです。

折れない力、例え折れても進み続ける力、自分というものをしっかりもつ強さ・・・
そういうものを保とうと努めるための励みとして、格闘技でもいいし、他の何かでもいいと思うのです。
・・・自分が揺らがないようにするための何かを求め続けることが、
強く生きるためのよすがになるのではないでしょうか。

子供のイジメもそうですが、大人だって、みんな自分の弱さと向き合いながら生きていることと思います。
たまに逃げたっていいと思うから、その弱さを武器にして、逆にそれを誇示して
生きていくような武道家には、ならないでお互い生きましょう。

強く生きろ。強く生きようとしろ。
弱くても強く生きることはできる。


要するに今回はそんなことが言いたかった次第です。

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