雑記などのコラムです。
3月雑記(格闘技における安全性)
何かがあれば責任の所在を自分以外に求め、訴訟を起こす時代に逆行するようですが、
昨今の安全第一な格闘技体制がなんだかなーーと思う今日この頃です。

防具でガチガチに固めたり、フルコンタクトルールなのにほんのちょっと
いいのが入っただけで勝敗を決めてしまう昨今。
倒れても倒れても立ち上がるような不屈さは皆無となり、
その精神を称えられる場面はなくなってしまったように思えます。

そんな精神論だけでなく、技術面でもいえることがあります。
防具が分厚くなれば分厚くなるほど、実際の戦いとは
かけ離れた場所で戦うことができてしまうってこと。
モラルハザードって言葉がありますが、こういうのなんていうんだろう。セーフティハザード?
安全だからって動きがありえない。

格闘技の間合いというのは結局、顔面へのパンチがどれだけ痛いかで決まります。
一般的に肉の薄いグローブをつけている格闘技ほどその間合いは遠く、
顔面パンチのない格闘技はおでことおでこがくっつくような距離ですよね。
つまり顔が痛くないほど人間は近くで戦えるってことです。ガードの高さもそうですね。
さらにつまり、顔面が痛いほど、戦略を立てる必要性が出るわけです。

防具に慣れて顔面が痛くないと、どうしても間合いが近くなる。
確かにそのルールの中では勝てるでしょうが、それって格闘技としては現実的ではない。
それ、防具を外した時に同じ動きをしては危険極まりない間合いで、
長い間たちあっていることになります。

・・・
などといいだせば「じゃあなんでもありで素手で殴りあえばいいのか」
とかいう声も聞こえてきそうです。極端なんですよ。そういうことを言ってるのではなく、
いたずらに安全面を気にしすぎるがあまり、格闘技として学ぶべき場所が失われているんじゃないか
ということを言ってるわけです。一つ言葉を間違えれば多大な勘違いを呼びそうな
今回のテーマにおいて、私の文章力ではすべての人を満足させることはできないとは
思いますが、格闘技を安全第一に運用することを徹底すれば、
格闘技のよさは失われてしまうのではないでしょうか。

繰り返します。時代に逆行しますが、絶対安全な格闘技なんていう言葉は
そもそもが矛盾しているのだと思うのですよ。
焼いてないのにカップ焼きそばみたいなもんです。(たぶん)
その覚悟を培っていくところから、人の強さってやつを作っていくもんじゃないんでしょうか。

・・・格闘技始めて、いろんな意味で強くなりたいなと真剣に思った自分としては、
昨今の動向はなんとなく不完全燃焼な趣があります。

時代に逆行しているという自覚はあるので、このコラムは
私の考え方を押し付けようとするものではありません。が、ちっとは危険を承知で
格闘技やってくんないとおもしろさもわかんねーぞと。
運営側も、選手だった頃は倒されたって戦いたかっただろうに
いざ運営側になったら後から続いていく者を安全でがんじがらめにしたら、
同じ不完全燃焼を味わうんだぞと。
いいじゃん強くなれるんなら、ちょっとくらい壊れたって・・・(←極論(笑))

訴訟社会ですが、強くなりたいなら人のせいにしないで自分をあらゆる意味で鍛えろと。

・・・勝手に、思っておくことにします。(笑)

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