→しかしただ生きていけば歳をとります。肉体が年老いて、それを実感した気持ちも老いていきます。よね?
未来へしか進んでゆけないわたしたちが、如何にして気持ちを若く保ったまま生きるか。
・・・今年10月のコラム的に言えば「アクティブでいること」なんですが、定期的に"若さに戻れる"場所に身をおいておく
のは、その一つの手段だと思うんですよ。
ちょっと横道それますが、
今回のアツテコカップは全12戦。当然半分が勝って半分が負けました。
しかしそんなことは瑣末なことで、わたしは「アツテコカップという舞台に立った」という、
それ自体が一つの価値であり、"勝ち"だと思うんですよね。
なぜか。
この場に立つのは・・・立ち続けるのは、非常に困難なんです。
どれだけの人が"気持ちが老いて"、この場所に立てなかったか・・・この10年間、わたしはその人間模様というか、
人間の素の部分に接してきましたので、よく知ってます。もちろん出なかった人すべてがそうとはいわないし、
たとえそうだとしても批判しているわけではありませんが、ともかく、いろいろな「しんどさ」をおして
『アツテコカップ』という場に立つというのは、並大抵のパワーではできないことなのです。これは間違いない
特に回数重ねてらっしゃる方ほどそうです。毎年出てきて当然だと思える環境に身をおいてる人はいません。
それは、今回の相手に勝った負けた云々よりも大切な、『自分に勝った』という要素だと思うのです。今年のテーマに引っ掛けて言えば『前回出場の時と同じ気持ちの若さの中にいた』。
『勝てそうだ、負けそうだ、体力が上がった落ちた、という気持ちが去年より大きい小さい』・・・とか、そういうことではなく、その場に再び立ったというエネルギーのことを言っています。
それってある意味でその人は前回と同じ若さの中にいるといえるのではないでしょうか。そして、それが誰にでもできることでないということをひとつ前で述べました。
だから、あなたがたは勝ったんです。
今回戦った相手に勝って負けて、そのこと自体は人生を何も変えません。でも上記の理由で「自分に勝って」自分の足で家まで帰ったという"それ"が、その積み重ねが、気持ちが老けていないという一つの事実だし、格闘技の道場で得られるもっとも尊いもののひとつなのではないでしょうか。(格闘技に限定したのは、チャレンジすることに怖さ(リスク)や、ツラさのないことではわたしが言うほどのニュアンスは得られないと考えるからです)
ともあれ今年のテーマ、「未来へ戻れ!!」は、そんな感じで、
『今から行う試合は未知のものだけど、その舞台は過去も未来も不偏的な(時間の止まった)場所』
・・・わたしはそのようにこじつけました(笑)。
閉会式ではおそらくこのニュアンスの半分しか伝わってないんじゃないかと。わたし、口がヘタなので。
さらに書いてみてしみじみ思う。
どーせ本当に読んでほしいやつは読まないんだろうなー
と・・・(苦笑)。
とにかく、そんな10周年記念大会でした。
そうそう、長くなったついでにもう一つ、
とある元道場生が10周年のお祝いに・・・とのことで、『粗品』という名の
アツテコカップへの記念品(豪華)と、手紙を送ってくれたんですよ。
懐かしいという文字が目立つ中で、今、息子さんがアツテコカップのDVDを見ながら
テレビに向かって一生懸命応援してくれているそうです。
そのことについてお礼を言ってくれているのですが、わたしもそういう話を聞くにつけ、
アツテコカップを10年間続けたこと、厚木道場をやめなかったことは良かったことなのだなと
ふとうれしくなりました。
思い出というものは何かを行ってきた者の頭上にしか存在しない
OBも現役道場生も、アツテコがかけがえのない思い出の場所であればいいなと思います。
俺がそう思ってしまった以上、
アツテコカップ、続けるしかないじゃん・・・(笑)
10年ね、いい区切りでもあるわけですが、私も私で、毎年自分に勝ち続けて、
また、この『アツテコカップ』の場に戻ってこようと思います。
だからお前ら、絶対来年も出ろよ!?(大笑)
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