雑記などのコラムです。
2月雑記(神大平塚テコンドー部)
わたしは元神奈川大学体育会平塚テコンドー部の第6期、第7期の主将です。

特別強くて2期も主将であったわけではなく、ほぼ瓦解寸前で、
「お前がダメなら平塚は潰す」と師範の激励を受けて、その気になった長期政権でした。

その後、渡邉初段や森口初段という良人格に支えられて
平塚テコンドー部は徐々に・・・本当に亀の歩みで・・・でも確実にその勢いを盛り返していきました。

それまでは「いっぱい入っていっぱい辞めて、ちょっとだけ残る(もしくは残らない)」
といった流れだったテコンドー部は、わたし達が締めるとこ締めたら
「なかなか入ってこないけど、入った奴は残る」という、量より質の体育会となりました。
ここで入ってきたのが例えば皆さんもご存知の山本初段を初めとする後輩達です。

そして平塚テコンドー部は全盛期を迎えることになります。

運もよかった。平塚には逸材が次々と入りました。ほんの一時期ですが、
平塚軍団は日本の学生テコンドー界でも1,2位を争ったんじゃないでしょうか。

わたしは、卒業してもその栄光(大げさ)の入り口まで、監督を務めていました。


べつにこの変遷をわたしの功績だと謳いたいわけじゃないんですよ。
どうしてこういう話をしたかというと、今、その平塚の火はまた、消えかかっていると聞いたからです。
部員も極少数、今まで確保していた練習場も取り上げられるといった状況だそうです。

なんとかしてやりてぇなぁ・・・


わたしはテコンドーで人生が変わりました。
最近、「これちょっと間違ったかな?(大笑)」と思いつつも、
わたしにとってテコンドーというものはかけがえのない財産です。
テコンドーが夢をくれたし、テコンドーが仲間をくれたし、
テコンドーが「自分は何者なのか?」という命題に、一つのアドバイスをくれています。

平塚テコンドー部はその基点にあたる部分であり、わたしの出発の場所です。
「はい、もう腐っちゃったね。捨てましょう」と簡単に言い放つ連中では
到底測りえないであろう思い入れが、あそこにあります。

ただ、同時にあそこは今、限りなく近い隣国で、わたしがさわることはできません。

というか、もしわたしがなんとかできるものなら
こんなところでぼやいてはおらず、すぐにでも力を貸しに行きます。

それができず、わたしはたとえそこが崩れ行くとしても指をくわえてみてるしかない。
現在のテコンドー組織の隔たりというものはベルリンの壁や38度線、
イスラエル国境くらい高く険しいです。

出て行ったのはお前だろう?部外者が文句を言うな、と?
はい、その通りです。こんなところでぼやいてるのは自分でもかっこ悪いと思いますよ。
これ以上は黙ってますからあなた方の力で俺の故郷を救ってください。
できないなら俺にやらせてください。

ホントね、国境なんてなければいいのに・・・と思う人の気持ちです。

組織や派閥の壁なんてなければいいのに。

テコンドー家同士で助け合えない現状、やめればいいのに。

・・・と、力の足りない一零細道場の指導者はボヤくしかないのが悲しい。

いつもはただ純粋にテコンドーを楽しめていればいいなと思うんですが、
こういうことがあると切実に思う。力がほしいです。


なんとかしてやりてぇなぁ・・・。

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