雑記などのコラムです。
4月雑記(余計なこと)
年度明けましておめでとうございます。

今月は河井寿司ネタになるかと思いきや、うやむやに帰したので別の話題。(笑)

「人は歩みをとめたときに、そして挑戦をあきらめた時に年老いていくのだと思います」
プロレスラーアントニオ猪木氏が引退したときに投げた言葉です。
わたしがこれを評価するなどおこがましいのですが、その通りだと思います。

歳に関係なく、「なんて発想が老けてるのかな」と思う人もよく見かけます。
20こえたら、人の老若を決めるのは、年輪の数じゃなくて気持ちだと、深く思いますね。
(すげぇ70代とかもいます(笑))
もちろん若ければいいって言うものでもないとは思いますが・・・(笑)

人間は気持ちが大事です。
人間食べて寝て仕事して遊んで一生懸命生きるだけでいいなら一生懸命生きていくだけで
いいと思うのですが、なにか「余計なこと」を考えているのなら、とにかく大切なのは気持ちです。
なぜなら、「余計なこと」は「余計なこと」だけに、「日常」っていう名の時の流れに
溶けていきやすいからです。

日常って言うのは基本的に食う寝る仕事遊ぶで目いっぱいになるように設定されてます。
「何かを目指そう」などと余計なことを考えても、そんなものが入る余地はあまりない。
1年2年がんばれたとしても、早晩「日常」という時の勢いが、あらゆる方向から邪魔をして、
「余計なこと」は淘汰されていきます。
そのうち、覚悟は、夢は、志は、どこか遠くに見える灯台の光のようになってしまうわけです。

でも、それでもその「余計なこと」を大切にしたいのなら、
日常に押し流されて、「余計なこと」に時間を割けず、自分が思うように生きていられないときも
「自分は本当はこうしたいんだ」と思い続けることがまず大切なんだと思います。

わたしも、思うようにテコンドーの修練ができない時期があります。
わたしにとってはこれが生き方ですから、気持ちばかりあせって、刻一刻衰えていく自分を思うのが
とにかく口惜しい。
でも、その場その場で自分の理想に自分が近づけないことを苦しめば苦しむほど、
実は「日常」という時の流れの思う壺で、気持ちを失わせる原因なのかなと思うようになりました。

「無理なときは無理なのだ。ただし、気持ちだけは忘れない。
常に「自分はこうしたいんだ」というものをもちつづけて、やれるときを大事にする。
そのとき、自分は10の実力はないかもしれないけれども、
いままでの積み重ねが0になることはない。
たとえ1でも0,1でも0ではないわけで、そこから始めれば
何もしてない人間よりは
高いところから始められるのだから、そこから始めればいい」

・・・と、考えています。
それで、再開したときたとえ1だとしても、今度10積み重ねれば11になるわけで、
思えばわたしの実力なんてものはこの17年、登って下ってを繰り返して
徐々に登ってるグラフになってる気がします。(まだまだ衰えてる気持ちはないっす(笑))

大事なのは気持ちです。
理想と現実を悲観視するのではなく、気持ちを忘れず、思い続けること、
そして前進できるときに精一杯前進すること。(これがないと単なる夢想家です)
志を遠い灯台の光のように思わなければまたいつでも前向きに「余計なこと」に取り組むことができます。

わたしはその「余計なこと」を大事にする人生を歩んでる人が大好きです。
それがテコンドーであればなおうれしいですが、たとえテコンドーでなくても、
これはきっとどんなことにも当てはまることなんじゃないかなと思います。

余計なことに命燃やす方、お互いがんばりましょう!(笑)
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